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Takatori Castle Ruins — Attraction in Takatori

Name
Takatori Castle Ruins
Description
Takatori Castle was a 14th-century Japanese castle, now in ruins, in Takatori, Nara Prefecture.
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Takatori Castle Ruins
JapanNara PrefectureTakatoriTakatori Castle Ruins

Basic Info

Takatori Castle Ruins

Takatori, Takaichi District, Nara 635-0101, Japan
4.4(454)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Takatori Castle was a 14th-century Japanese castle, now in ruins, in Takatori, Nara Prefecture.

Cultural
Outdoor
Adventure
Scenic
Off the beaten path
attractions: , restaurants:
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Phone
+81 744-52-1150
Website
town.takatori.nara.jp

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Reviews

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Nara : Tea Ceremony in 120Year Old House -Max 5-
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Mon, Dec 29 • 10:30 AM
630-8322, Nara, Nara, Japan
View details
Make traditional Japanese handmade udon noodles
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Tue, Dec 30 • 9:45 AM
630-8113, Nara, Nara, Japan
View details
Pedal through hidden Nara
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Mon, Dec 29 • 9:00 AM
630-8215, Nara, Nara, Japan
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Reviews of Takatori Castle Ruins

4.4
(454)
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5.0
1y

備中松山城、美濃岩村城と共に日本三大山城の一つとされる大和高取城の跡にやって来た。 因みに、今まで訪れた戦国時代の見応えのある山城には、豊後の岡城や出雲の月山富田城、但馬の竹田城など壮大で重厚な石垣群で出来た山城があったが、これらの城が三大山城に入らないのは、日本三大山城の条件に、近世(江戸時代)まで機能していた城という条件があるからである。

この三大山城の特徴と言えば、松山城は現存天守があることである。現存12天守の内、唯一の山城ということになる。岩村城(標高721m)と高取城(城下からの比高446m)は天守や櫓など建物は一切ないが、幾重の枡形虎口の石垣や高石垣など石垣群に圧倒されるものがあり、城下の街道の先に山城が位置するのがまた好い感じである。

私が高取城跡に訪れた日は、運よく県道119号線の道路補修工事が休工であったため、壷坂口門近辺まで車で行けた。車は行き止まりの広場(5~6台OK)に停めた。途中道が狭いと聞いていたが、私が今まで車で登った田舎の山城に比べれば、意外と整備されていて通り易い道であった。(個人の感想であるが・・・)城内も大手門から二ノ丸、本丸かけて、夏の割には草も刈られていて見学し易かった。

今回の私の見学ルートは、臺坂口門跡から入り大手門跡前まで行き、下って千早門跡、宇陀門跡、松ノ門跡、矢場門跡、ここから国見櫓へ廻り、戻ってニノ門、猿石、水堀などを見学した。その後、大手門前まで戻り(上り)、そこを左へ下り、吉野口門跡まで行って、再び大手門前まで戻った。そしていよいよ大手門跡から二ノ丸・本丸へ入り、新櫓跡脇から七ツ井戸へ下り道路(一般車両進入禁止道路)へ出て、車まで戻った。ジックリ見学したので、3時間位掛かってしまったが、後悔はない。

感想は、大手門跡から二ノ丸跡、十五間多門跡、太鼓櫓跡・新櫓跡、本丸虎口跡、天守台跡などの石垣が感動ものである。また、ニノ門跡、矢場門跡、松ノ門跡、宇陀門跡、千早門跡などにも石垣が確り残っていて、城域全体が素晴らしく、見応えがある城跡である。 また、国見櫓跡からは、大阪市内の高層ビル群まで見えたのが驚きであった。

さて、高取城の歴史であるが、元弘2(1332)年越智邦澄[おちくにずみ]が貝吹山城の支城として築城した。天正8(1580)年織田信長の命により一旦廃城となった。信長の死後、筒井順慶が郡山城の詰の城として復興し、天正17(1589)年羽柴秀長の家臣本田利久が秀長の命により大改修を行った。寛永17(1640)年徳川譜代の家臣植村家政が2万5千石で入部、高取藩初代藩主となり、幕末まで続いた。

蛇足だが、石高2万5千石でよくもこんなに大規模な山城を約230年間も確りと維持できたものだと感心する。増税ばっかりする今の日本の政治家には見習って欲しい。《...

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16w

日本三大山城制覇でーす! やった! ほかは、岐阜の岩村城と、岡山の備中松山城 松山城は現存天守のひとつで有名で、建物が残っていますが、残る二つは縄張りと石垣が残るばかり

どの山城も車で結構肉薄できるんですけど、今回私は土佐街道の観光駐車場に車を置いて、麓から向かうことにいたしました 片道90分、往復3時間です 登山ですね。。。登山口は土佐街道側から向かい、壷阪寺側に降りるルートをとることに 来た道を戻るなんてとんでもない、、、行ったことない道を行かねば面白味がないですもんね!

山のレベル感は初心者向けとのことですが、上述のふたつの城に比べても道はかなり険しく感じました 特に壷阪寺ルートが激しく、戻りならともかく行きなら挫けていたかもしれません、、、なので、チャレンジする方は土佐街道側から行って、来た道を戻るのが一番ではないでしょうか

さて、山上は壮大です 天守台や国見櫓跡から見る大和盆地、吉野の深い山の景色などはもちろん、石垣の数々に言葉を失います 気になったのは、石垣のヘリって言うんでしょうか、多くの城は石垣の辺が弓形になってるんですけど、ここはかなりの直線です それこそ綺麗な台形を見ることができます なんか特徴的だな、なんて思いながら専門知識はありませんのであしからず、、、

出掛けたのが夏だったので、蜂が結構います あと、カナヘビがいっぱい 途中マムシの子供も見ました 足元の装備はしっかり肌を覆う装いをおススメします

ちなみに車で結構近くまで行けるようです 県道119号線で通行止めのところまで行ってください 途中、壺阪峠で細い道に分岐しますが、そのまま降ると269号線で、吉野の方へ行ってしまいます ここの道が廃道っぽくて痺れるんですけどね 119号線は走りながらきっと不安をかきたてる道ですが、おそらく壷阪寺の先で行き会う車はないんじゃないかな、、桜の季節は観桜客が多そうですが、どうでしょう、、壷阪寺の先は本当に不安な道で、ここ行ってええんかいなって絶対思うと思います

通行止めまで着たら少し広くなっているので端に停めれば問題なさそうです 観光案内書の方も、そこまでなら車で行けると仰ってましたし、見た感じでは大丈夫そうに思いました

しかしここを攻め取ろうと思った石田三成とか天誅組とか、ほんと無謀やろ、と思うほどに険しい城でした、、、

※トイレは工事現場とかイベント会場にあるような簡易トイレですので、使用はあ...

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1y

ものすごく強そうです。城址のあちこちで見かける幟には「日本最強の城」と書かれていて、どういう基準での最強かは判然としないものの、そうと思わせるだけの貫禄は十二分にあります。 南北朝時代に越智氏によって城が築かれ、筒井順慶、次いで豊臣秀長重臣の本多利久により近世城郭として整備されました。利久の子の俊政は豊臣秀吉の直臣に取り立てられるも、秀吉の死後は徳川家康につき、関ケ原の合戦に際しては上杉討伐に参陣します。主力の不在を衝いて、石田三成の差し向けた大軍が高取城を包囲しますが、留守を預かる俊政の従弟の正弘は堅城に拠って敵を撃退します。俊政の子の代で本多氏は無嗣改易となりますが、その後植村氏が入府して、明治に至るまで代々の城主をつとめます。建物のことごとくは棄却され、いまとなっては石垣を残すのみとなっていますが、往時の威容は容易に想像できます。 最寄りの近鉄吉野線壺阪山駅からの主な登城ルートは二つあって、一つは壺阪寺前までバスで移動して、そこから壺阪口門を経て本丸に至るか、徒歩で旧城下町の土佐町を経て、かつての登城道をなぞって本丸に至るかです。前者は比高が低いものの、ただただ険しいだけの山道が続きます。一部に竪堀と見られる遺構はあるものの、壺阪口門近くに至るまでお城らしさに欠けます。ただ、壷阪寺とあわせて楽しめるのは魅力です。後者は比高も距離もありますが、城下町と堅城の名残を存分に楽しめます。登山口にあたる砂防公園(ダム)の辺りまでは舗装道路で、公園には駐車場とトイレがあります。そこから先は山道が続くものの、危ないところはなく、そこかしこに遺構があります。ただ、石垣は補修が追いついておらず、「落石注意」と書かれた看板が落石に押しつぶされていたりもするので、無闇に近づかないほうがいいでしょう。 高取城は日本三大山城のひとつとされていますが、他のふたつ、備中松山城、美濃岩村城と比べても道は険しく、実質登山です。売店も自販機もなく、トイレの数も限られています。夏場は熱中症対策にも留意する必要があります。ただ、苦労してでも見る価値のある史跡です。 私が訪れたのはちょうど観桜期で、砂防公園の桜が見事でした。天守台辺りにも桜はあって、郡山城などに比べればささやかなものの、息を切らせながら山道を登ってきたアラフィフのおっさんには何よりのご褒美でした。紅葉の名所でもあるようなので...

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chu “お城とお酒と一人旅”chu “お城とお酒と一人旅”
備中松山城、美濃岩村城と共に日本三大山城の一つとされる大和高取城の跡にやって来た。 因みに、今まで訪れた戦国時代の見応えのある山城には、豊後の岡城や出雲の月山富田城、但馬の竹田城など壮大で重厚な石垣群で出来た山城があったが、これらの城が三大山城に入らないのは、日本三大山城の条件に、近世(江戸時代)まで機能していた城という条件があるからである。 この三大山城の特徴と言えば、松山城は現存天守があることである。現存12天守の内、唯一の山城ということになる。岩村城(標高721m)と高取城(城下からの比高446m)は天守や櫓など建物は一切ないが、幾重の枡形虎口の石垣や高石垣など石垣群に圧倒されるものがあり、城下の街道の先に山城が位置するのがまた好い感じである。 私が高取城跡に訪れた日は、運よく県道119号線の道路補修工事が休工であったため、壷坂口門近辺まで車で行けた。車は行き止まりの広場(5~6台OK)に停めた。途中道が狭いと聞いていたが、私が今まで車で登った田舎の山城に比べれば、意外と整備されていて通り易い道であった。(個人の感想であるが・・・)城内も大手門から二ノ丸、本丸かけて、夏の割には草も刈られていて見学し易かった。 今回の私の見学ルートは、臺坂口門跡から入り大手門跡前まで行き、下って千早門跡、宇陀門跡、松ノ門跡、矢場門跡、ここから国見櫓へ廻り、戻ってニノ門、猿石、水堀などを見学した。その後、大手門前まで戻り(上り)、そこを左へ下り、吉野口門跡まで行って、再び大手門前まで戻った。そしていよいよ大手門跡から二ノ丸・本丸へ入り、新櫓跡脇から七ツ井戸へ下り道路(一般車両進入禁止道路)へ出て、車まで戻った。ジックリ見学したので、3時間位掛かってしまったが、後悔はない。 感想は、大手門跡から二ノ丸跡、十五間多門跡、太鼓櫓跡・新櫓跡、本丸虎口跡、天守台跡などの石垣が感動ものである。また、ニノ門跡、矢場門跡、松ノ門跡、宇陀門跡、千早門跡などにも石垣が確り残っていて、城域全体が素晴らしく、見応えがある城跡である。 また、国見櫓跡からは、大阪市内の高層ビル群まで見えたのが驚きであった。 さて、高取城の歴史であるが、元弘2(1332)年越智邦澄[おちくにずみ]が貝吹山城の支城として築城した。天正8(1580)年織田信長の命により一旦廃城となった。信長の死後、筒井順慶が郡山城の詰の城として復興し、天正17(1589)年羽柴秀長の家臣本田利久が秀長の命により大改修を行った。寛永17(1640)年徳川譜代の家臣植村家政が2万5千石で入部、高取藩初代藩主となり、幕末まで続いた。 蛇足だが、石高2万5千石でよくもこんなに大規模な山城を約230年間も確りと維持できたものだと感心する。増税ばっかりする今の日本の政治家には見習って欲しい。《2024.8.27訪問》
佐々木周五郎佐々木周五郎
日本三大山城制覇でーす! やった! ほかは、岐阜の岩村城と、岡山の備中松山城 松山城は現存天守のひとつで有名で、建物が残っていますが、残る二つは縄張りと石垣が残るばかり どの山城も車で結構肉薄できるんですけど、今回私は土佐街道の観光駐車場に車を置いて、麓から向かうことにいたしました 片道90分、往復3時間です 登山ですね。。。登山口は土佐街道側から向かい、壷阪寺側に降りるルートをとることに 来た道を戻るなんてとんでもない、、、行ったことない道を行かねば面白味がないですもんね! 山のレベル感は初心者向けとのことですが、上述のふたつの城に比べても道はかなり険しく感じました 特に壷阪寺ルートが激しく、戻りならともかく行きなら挫けていたかもしれません、、、なので、チャレンジする方は土佐街道側から行って、来た道を戻るのが一番ではないでしょうか さて、山上は壮大です 天守台や国見櫓跡から見る大和盆地、吉野の深い山の景色などはもちろん、石垣の数々に言葉を失います 気になったのは、石垣のヘリって言うんでしょうか、多くの城は石垣の辺が弓形になってるんですけど、ここはかなりの直線です それこそ綺麗な台形を見ることができます なんか特徴的だな、なんて思いながら専門知識はありませんのであしからず、、、 出掛けたのが夏だったので、蜂が結構います あと、カナヘビがいっぱい 途中マムシの子供も見ました 足元の装備はしっかり肌を覆う装いをおススメします ちなみに車で結構近くまで行けるようです 県道119号線で通行止めのところまで行ってください 途中、壺阪峠で細い道に分岐しますが、そのまま降ると269号線で、吉野の方へ行ってしまいます ここの道が廃道っぽくて痺れるんですけどね 119号線は走りながらきっと不安をかきたてる道ですが、おそらく壷阪寺の先で行き会う車はないんじゃないかな、、桜の季節は観桜客が多そうですが、どうでしょう、、壷阪寺の先は本当に不安な道で、ここ行ってええんかいなって絶対思うと思います 通行止めまで着たら少し広くなっているので端に停めれば問題なさそうです 観光案内書の方も、そこまでなら車で行けると仰ってましたし、見た感じでは大丈夫そうに思いました しかしここを攻め取ろうと思った石田三成とか天誅組とか、ほんと無謀やろ、と思うほどに険しい城でした、、、 ※トイレは工事現場とかイベント会場にあるような簡易トイレですので、使用はあんまりおススメできません
七面鳥放浪記七面鳥放浪記
ものすごく強そうです。城址のあちこちで見かける幟には「日本最強の城」と書かれていて、どういう基準での最強かは判然としないものの、そうと思わせるだけの貫禄は十二分にあります。 南北朝時代に越智氏によって城が築かれ、筒井順慶、次いで豊臣秀長重臣の本多利久により近世城郭として整備されました。利久の子の俊政は豊臣秀吉の直臣に取り立てられるも、秀吉の死後は徳川家康につき、関ケ原の合戦に際しては上杉討伐に参陣します。主力の不在を衝いて、石田三成の差し向けた大軍が高取城を包囲しますが、留守を預かる俊政の従弟の正弘は堅城に拠って敵を撃退します。俊政の子の代で本多氏は無嗣改易となりますが、その後植村氏が入府して、明治に至るまで代々の城主をつとめます。建物のことごとくは棄却され、いまとなっては石垣を残すのみとなっていますが、往時の威容は容易に想像できます。 最寄りの近鉄吉野線壺阪山駅からの主な登城ルートは二つあって、一つは壺阪寺前までバスで移動して、そこから壺阪口門を経て本丸に至るか、徒歩で旧城下町の土佐町を経て、かつての登城道をなぞって本丸に至るかです。前者は比高が低いものの、ただただ険しいだけの山道が続きます。一部に竪堀と見られる遺構はあるものの、壺阪口門近くに至るまでお城らしさに欠けます。ただ、壷阪寺とあわせて楽しめるのは魅力です。後者は比高も距離もありますが、城下町と堅城の名残を存分に楽しめます。登山口にあたる砂防公園(ダム)の辺りまでは舗装道路で、公園には駐車場とトイレがあります。そこから先は山道が続くものの、危ないところはなく、そこかしこに遺構があります。ただ、石垣は補修が追いついておらず、「落石注意」と書かれた看板が落石に押しつぶされていたりもするので、無闇に近づかないほうがいいでしょう。 高取城は日本三大山城のひとつとされていますが、他のふたつ、備中松山城、美濃岩村城と比べても道は険しく、実質登山です。売店も自販機もなく、トイレの数も限られています。夏場は熱中症対策にも留意する必要があります。ただ、苦労してでも見る価値のある史跡です。 私が訪れたのはちょうど観桜期で、砂防公園の桜が見事でした。天守台辺りにも桜はあって、郡山城などに比べればささやかなものの、息を切らせながら山道を登ってきたアラフィフのおっさんには何よりのご褒美でした。紅葉の名所でもあるようなので、その頃にまた行きます。
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日本三大山城制覇でーす! やった! ほかは、岐阜の岩村城と、岡山の備中松山城 松山城は現存天守のひとつで有名で、建物が残っていますが、残る二つは縄張りと石垣が残るばかり どの山城も車で結構肉薄できるんですけど、今回私は土佐街道の観光駐車場に車を置いて、麓から向かうことにいたしました 片道90分、往復3時間です 登山ですね。。。登山口は土佐街道側から向かい、壷阪寺側に降りるルートをとることに 来た道を戻るなんてとんでもない、、、行ったことない道を行かねば面白味がないですもんね! 山のレベル感は初心者向けとのことですが、上述のふたつの城に比べても道はかなり険しく感じました 特に壷阪寺ルートが激しく、戻りならともかく行きなら挫けていたかもしれません、、、なので、チャレンジする方は土佐街道側から行って、来た道を戻るのが一番ではないでしょうか さて、山上は壮大です 天守台や国見櫓跡から見る大和盆地、吉野の深い山の景色などはもちろん、石垣の数々に言葉を失います 気になったのは、石垣のヘリって言うんでしょうか、多くの城は石垣の辺が弓形になってるんですけど、ここはかなりの直線です それこそ綺麗な台形を見ることができます なんか特徴的だな、なんて思いながら専門知識はありませんのであしからず、、、 出掛けたのが夏だったので、蜂が結構います あと、カナヘビがいっぱい 途中マムシの子供も見ました 足元の装備はしっかり肌を覆う装いをおススメします ちなみに車で結構近くまで行けるようです 県道119号線で通行止めのところまで行ってください 途中、壺阪峠で細い道に分岐しますが、そのまま降ると269号線で、吉野の方へ行ってしまいます ここの道が廃道っぽくて痺れるんですけどね 119号線は走りながらきっと不安をかきたてる道ですが、おそらく壷阪寺の先で行き会う車はないんじゃないかな、、桜の季節は観桜客が多そうですが、どうでしょう、、壷阪寺の先は本当に不安な道で、ここ行ってええんかいなって絶対思うと思います 通行止めまで着たら少し広くなっているので端に停めれば問題なさそうです 観光案内書の方も、そこまでなら車で行けると仰ってましたし、見た感じでは大丈夫そうに思いました しかしここを攻め取ろうと思った石田三成とか天誅組とか、ほんと無謀やろ、と思うほどに険しい城でした、、、 ※トイレは工事現場とかイベント会場にあるような簡易トイレですので、使用はあんまりおススメできません
佐々木周五郎

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ものすごく強そうです。城址のあちこちで見かける幟には「日本最強の城」と書かれていて、どういう基準での最強かは判然としないものの、そうと思わせるだけの貫禄は十二分にあります。 南北朝時代に越智氏によって城が築かれ、筒井順慶、次いで豊臣秀長重臣の本多利久により近世城郭として整備されました。利久の子の俊政は豊臣秀吉の直臣に取り立てられるも、秀吉の死後は徳川家康につき、関ケ原の合戦に際しては上杉討伐に参陣します。主力の不在を衝いて、石田三成の差し向けた大軍が高取城を包囲しますが、留守を預かる俊政の従弟の正弘は堅城に拠って敵を撃退します。俊政の子の代で本多氏は無嗣改易となりますが、その後植村氏が入府して、明治に至るまで代々の城主をつとめます。建物のことごとくは棄却され、いまとなっては石垣を残すのみとなっていますが、往時の威容は容易に想像できます。 最寄りの近鉄吉野線壺阪山駅からの主な登城ルートは二つあって、一つは壺阪寺前までバスで移動して、そこから壺阪口門を経て本丸に至るか、徒歩で旧城下町の土佐町を経て、かつての登城道をなぞって本丸に至るかです。前者は比高が低いものの、ただただ険しいだけの山道が続きます。一部に竪堀と見られる遺構はあるものの、壺阪口門近くに至るまでお城らしさに欠けます。ただ、壷阪寺とあわせて楽しめるのは魅力です。後者は比高も距離もありますが、城下町と堅城の名残を存分に楽しめます。登山口にあたる砂防公園(ダム)の辺りまでは舗装道路で、公園には駐車場とトイレがあります。そこから先は山道が続くものの、危ないところはなく、そこかしこに遺構があります。ただ、石垣は補修が追いついておらず、「落石注意」と書かれた看板が落石に押しつぶされていたりもするので、無闇に近づかないほうがいいでしょう。 高取城は日本三大山城のひとつとされていますが、他のふたつ、備中松山城、美濃岩村城と比べても道は険しく、実質登山です。売店も自販機もなく、トイレの数も限られています。夏場は熱中症対策にも留意する必要があります。ただ、苦労してでも見る価値のある史跡です。 私が訪れたのはちょうど観桜期で、砂防公園の桜が見事でした。天守台辺りにも桜はあって、郡山城などに比べればささやかなものの、息を切らせながら山道を登ってきたアラフィフのおっさんには何よりのご褒美でした。紅葉の名所でもあるようなので、その頃にまた行きます。
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