枚方市から車移動し、事前に阿武山古墳で発掘された遺品など古墳の研究成果を把握するため高槻市立の今城塚古代歴史館を訪問しました。発掘当時の冠から高貴の身分である人物の墓であることは間違いが無いとのことで藤原鎌足の墓である有力視されているとのこと。事前の勉強を終えて阿武山古墳に向け出発。車は今城塚古代資料館の駐車場に停めておき、徒歩で移動しました。グーグルマップを経路で調べると歴史館から阿武山古墳「観測所みはらし台」までの最短時間で徒歩だと54分間見込まれるとの結果でしたが、実際は多少の早歩きで歴史館から阿武山山頂(古墳がある場所)までおよそ50分間で到着できました。道中は、緩い傾斜の坂道が多くを占めてはいますが、所々で緑地公園内の登り階段を踏破する体力は求められます。しかしながら時間を気にせずゆっくりしたペースで歩くのであればちょっとしたハイキング気分でいい運動になるかと思います。ちなみに移動を続け住宅街を抜けていくと、阿武山へとつながる山に入っていく入り口に出くわしますが、入り口周辺に公共の駐車場や有料のパーキングらしきものは見当たりません。ネットで地図を調べると山から離れた箇所に有料パーキングもあるようですので車で来たい方はそちらの駐車場を利用する選択肢もありかと思います。訪問当日は山の入り口(ちょうど柵で仕切られる構造になっています)付近で、京都大学地震観測所関係者らしき数名の方がなにやら作業をされており入っていいものやら躊躇しましたが、犬の散歩や登山客と思われる方もこの入り口を普通に通り過ぎていく姿をみて安心して私も通り過ぎました。入り口から歩いて数分すると見晴台がありここから枚方方面の景色がよく見えました。この見晴台をさらに進むと、右手に阿武山古墳の方角を示す標識が建っています。標識を無視してこのまま真っ直ぐアスファルトで舗装された道を進むか、標識で示された方角に従って山道のコースを選択するかの2択となりますが、このときは時間を急いでいた理由があり山道コースを選択しました。山頂まで多少の蛇行はありながらも山頂を目指したショートカットコースですので短い時間で移動可能です。私で移動時間に10分間も掛からなかった程度で到着出来ましたが、途中の道は泥でぬかるんでいる箇所がいくつかあり、なおかつ階段をひたすら登っていくコースですのでハイキング気分でのんびり移動されたい方には舗装された道を選択する方をお勧めいたします。 山道コースの話に戻りまして山頂に到着すると左方向に古墳の存在を示す看板が確認出来ますので、数十メールほど移動すると次は左手側に石畳の舗装が山頂側に続いているのが確認できます。この石畳を進むと古墳に到着です。古墳は南方面が正面。お賽銭を入れて合掌。先日、奈良県桜井市の談山神社を訪れ御破裂山の藤原鎌足墓を参拝してきましたがこちらの古墳は土が盛られた形が見た目ではっきりと確認できましたが、阿武山古墳の柵で囲まれた墓域の中はおおむね平らな形状になっているようでした。古墳正面の南方向には摂津、河内の風景が広がっているはずですが、鬱蒼とした樹木に囲まれているため古墳からの景色は確認出来ませんでしたが、古墳からすぐ下りたところに京都大学阿武山地震観測所の建物があり、観測所近くの見晴台からは、梅田のビル群やさらに遠くには金剛・和泉葛城の山並みまで遠望可能な是絶景が見渡せます。写真を掲載しておきます。ちなみに、御破裂山の藤原鎌足墓からは大和平野の絶景を見渡すことが出来ますので、よろしければご関心がある方は御破裂山の藤原鎌足墓も是非お足をお運びください。山頂からの帰り道は、山道コースとは反対の舗装された道を通って帰りました。こちらのコースには阿武山古墳の石柱が建っていたり、先述の梅田のビル群がみえる見晴台(入り口から最初に出会ったとは別の見晴台です)といったスポットはこちらのコース沿いに存在していましたので、時間に余裕がある方はこちらのコースを選択した方が正解と思われます。以上...
Read more◉昭和9年に偶然見つかった古墳、当時はラストエンペラーにも登場する皇帝愛新覚羅溥儀が満州国を治めていた時期です。
文化財保護法も無かった時代に横穴式石室に「夾紵棺」が納められるという貴人の墓だったため簡単な調査を行い直ぐに埋め戻されて90年近く経っています。
発見当時は保存状態が良かったこともあり残されていた資料から被葬者について多くの情報が得られています。
身長165cmほどの長身で亡くなる前に骨折する大ケガに見舞われた60歳前後の男性だそうで錦の衣を羽織りガラス玉製の枕に、頭部から胸にかけて金糸が散らばっていたそうです。
この地域に関係が深かった藤原鎌足は狩の落馬後しばらくして亡くなった後、阿武山に埋葬されたとの資料も有り共通点が多く鎌足の墓だとする説が有力ですが定かでは有りません。
貴人を守るために周辺を取り巻くように植樹されていますが、手入れされてたとは思えなく根で破壊されていても不思議ではないほど生い茂っていて一般的に目にする古墳とは異質な感じで再整備した方が良さげな所でした。
埋め戻した古墳を再調査した事例では木棺が朽ちて無くなっていたりと腐敗が一気に進むようです。この先再調査しても多くのモノが失われているのでしょうか?もし談山神社に鎌足の遺骨が残されていてこの古墳の主とDNA鑑定で一致するなどすれば大発見ですが安楽に眠る貴人を起すことは無さそうです。
高槻市立今城塚古代歴史館で当古墳を紹介されていて出土品や復元した枕などの展示コーナーも併せて見学されることをオススメします。そうでないと手入れの悪い生垣を見学しに来たみたいな所ですので。
◉アクセスはJR摂津富田駅から大阪医科薬科大学行きのバスに乗り大学から徒歩20分程です。以前は観測所を抜けないと行けなったようですが途中の谷から尾根つたいに北側からアクセスできるように...
Read more藤原鎌足の墓と推測される 現在は低山ハイクに向く登りやすい山で、一度に自然と歴史に触れることができる山で歴史好きにもそうでない人にもおすすめ
尚、戦前の発掘で、大織冠を身に付けた60前後、腰の骨折もあるミイラ化した遺体が見つかっている ここに埋葬したとの記録があることから藤原鎌足と推定される
戦前は、日本の古代の歴史は貴人が絡むとストップが入り研究できないことが多く、この墓も埋め戻され研究が止められた
メソポタミアや中国では紀元前1000年代からの文書が残されており、それを裏付ける発掘もなされている
それらの国々と比して、日本は西暦710年の古事記や日本書紀の伝承はあるものの、裏付けの発掘ができず古代の歴史ははっきりできない
この藤原鎌足のように西暦600年代でさえ解明することができない 一度開封されてることから腐敗の進行も予想され、早めにしっかりとした研究をするとが、日本の古代史の発展のみならず墳墓や埋葬者ご自身の保護のためにも必要なのではと思う なぜなら、ミイラにしていたことや埋葬品を見れば、死後の永遠の命を望んでいるいたことが想像されるから
いったん発掘され空気に触れたミイラが、当時の技術で埋め戻されたならば朽ちてしまう それでは、せっかく1000年以上保存された遺体が朽ちてしまうのは本人や当時の人の気持ちを無にしてしまう 鎌足氏ほどの人物ならば、後世の人間が当時の朝廷の威光を知ると...
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