鎭西霊験社 黒髪神社 一、創建 上宮 崇神天皇十六年(約二千年前) 下宮 霊亀元年(西暦七一五年)
一、御祭神 伊弉冉尊(いざなみのみこと)・速玉男命(はやたまのをのみこと)・事解男命(ことさかのをのみこと) 〈下宮相殿〉菅原道真公命・今山鎮守神
一、信仰 祖神(おやがみ)様としての信仰篤く、五穀豊穣・雨乞い・病気平癒・商売繁盛・交通安全・学業成就・諸災消除・諸願成就の神様として崇敬されています
一、祭日 十月二十九日例大祭(お供日)流鏑馬式 一月一日 歳旦祭(上宮・下宮) 七日 初信者祭(下宮) 十五日 大祓式・お火焚祭(下宮) 五月二日 八十八夜祭(上宮) 九月二十三日 彼岸籠祭(下宮) その他 ※月次祭(下宮) 毎月 一日(信者祭) 十五日(敬神婦人会祭)
一、神事芸能 流鏑馬 雨乞神事 舞浮立(まいぶりふ) 荒踊(あらをどり)
一、文化財 流鏑馬神事(市重要無形民俗文化財)、肥前鳥居三基(市重要文化財)農耕絵馬(市重要有形民俗文化財)
一、由緒 黒髪神社は、崇神天皇十六年に朝廷の勅願社として黒髪山を卜(ぼく)して鎮座されたと伝えられる、肥前最古の由緒をもつお社です。 頂上の天童岩には、原初の信仰形態である磐座信仰の姿が伝えられ、また太陽穀霊崇拝にちなむ天童信仰がみられるところからも、歴史的古さが窺われます。 平安末期の史料、「武雄神社文書(国重要文化財)」には、当社は「朝廷ノ御祈祷所」で「杵島郡第一ノ霊社」とみえます。鎌倉期以降、天台修験と結びついた熊野信仰が伝播してくると、神仏習合の様相が強まり、やがて「黒髪大権現」の称号で呼ばれるようになります。末社・掛社は杵島郡・松浦郡を中心に五十社に及んでいました。 戦国期には、諸武将が請願の起請文として用いた「牛王宝印」守札を発行しており、上宮・中宮・下宮の三所からなる規模とともの、社格の高さをあらわしています。江戸期の例祭日は「士民群集シテ市ヲナス」賑わいであったと古記にあります。 秋のお供日に奉納される流鏑馬は、永万元年、大蛇退治の願成就として当社下宮に於いて奉納したのが始まりで、現在まで八百四十有余年続く伝統神事となっています。
拝殿掲...
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