富士見門(長屋門)
玉城町指定有形文化財(建造物)
指定年月日 平成六年十二月八日
田丸城は、南北朝時代に築城された平山城で南勢地方隋一の古城である。 戦国時代幾多の遍歴を経て築城以来六百数十年の歴史を秘め明治維新により廃城となった。 廃城当時(明治四年)、城内の建物は入札によりすべて取 り払われることとなった。城内には八ヶ所の門があった、その内三の丸(現在の玉城中学校校庭付近)には冠門(御成門)と富士見門があった。 御成 門は三の丸御殿へ、富士見門は三の丸から二の丸富士見台に向かう門であった。この富士見門(長屋門)は明治初年、宮古の乙部氏邸に移されたものを昭和五十九年三月、町がこれを譲り受け現在地に移築復元したものである。 この両側には長屋作りの侍溜があったが乙部氏邸に移築の際、向かって右の部分が取り除かれ左の侍溜が納屋 (間口三間半)として移築され保存されていたものである。この城門は江戸時代中期のもので往時の原形をとどめた現存する唯一の建造物で田丸城の歴史を物語る貴重な郷土の...
Read more明治初年に払い下げにあった富士見門を昭和59年に町が買い戻して移築復元したもの。当初門の右側は取り除かれ、左側の侍留は納屋となっていたが、門だけ移築復...
Read more田丸城廃城時にほぼすべての建造物は破却されたが、この富士見門は別の場所に移されていたものを町が譲り受けこの地に移設復元したものです。田丸城...
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