愛川町が建てた三増峠の戦いの記念碑です。碑そのものはかなり大きく、新しめのお酒とお花がお供えされていました。 三増峠には「峠」「山岳戦」という単語のイメージがあったためどんな山の中だろうと思っていましたが、山というよりは田舎道で記念碑そのものも畑の中にあり、調べたら三増峠の標高は319mでした。 ここから兵たちが実際に津久井城を見ていたのだと思うと感動しました。あいにく雨で景色が悪かったのですが、晴れている時にまた行ってみたいです。 車で行きましたが、記念碑そのものの住所がホームページによっては大まかなものだったので少し迷いました。「三増」の信号を曲がり「三増合戦みち」を通ると右手に記念碑が見えます。すぐ隣の屋根のある休憩所が目印になります。駐車場がないのがやはり不便でした。 碑の周りには布陣図や、畑から出土したという戦国期の男性の墓があります。 お線香をあげる場所はないため隣の戦没者の供養塔にあげると良いです。 この後津久井城に行きましたが...
Read more史跡としての価値は★2つ でも愛川町教育委員会の史跡保護への姿勢は★5つ。
史跡としては供養塔と古戦場の石碑、それと説明の看板が有る。 特に大規模はここでは無く上記のみだが、当時の武将達の供養をする愛川町の教育委員会の先人への尊敬の姿勢と、その武将達を偲んで行われる三増峠合戦祭等がある。
三増峠合戦祭は騎馬武者が登場する地域単位の御祭だが、周辺の酒蔵や牧場と合せて訪問すると良いレクリエーションに成ります。
もし三増峠合戦を知りたいならば、愛川町郷土資料館を訪問すると様々な解説展示が有るし、途中に牧場もあり美味しいソーセージとソフ...
Read more石碑と東屋がありますが、それ以外は何も無く野原が広がっています。 三増峠の合戦で北条勢、武田勢、合わせて4000人程、亡くなっているそうです。(諸説有り) 同じ日本人が殺し合いをする時代って考えると恐ろしですね。 武田勢は小田原遠征で村々に火を付けたり、乱取りを行い相模国を荒らしたそうです。 しかしながら歴史の様々なプロセスがあり、今の平和な日本に繋がっている。 先人達の犠牲や努力のおかげで今の平和な時代がある事を忘れず、命を繋いでくれた先人達に感謝し次の世代へと...
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