下里本邑(しもさともとむら)遺跡公園 複合遺跡( いくつもの時代にわたって 生活の場になっている 貴重な遺跡)
黒目川と 出水川の 合流する地点 の近くで
[ 歴史] 旧石器時代( 氷河時代の終わり頃) 約3万年前に 猟をして生活する人々が 住んでいました
縄文時代になると村ができ 縄文時代中期を過ぎると生活の跡が途絶える
弥生時代になると村ができます (東久留米市で 弥生時代に 村があるのはここだけ) ※黒目川 の川岸に 水田があったことが推定されている
再び 生活の跡が途絶える
奈良時代の 終わり頃 村ができ 平安時代まで続きます
[ 公園の遺跡] 旧石器時代の礫群( 火を使用跡) 写真3枚目 竪穴式住居( 弥生時代) 写真4枚目 方形周溝墓( 弥生時代の 指導者の墓) 写真5から8枚目
※ 公園の 道路を挟んで南側に 下里本邑遺跡館があり 石器土器 が展示してあります
以上 掲示板 参照
[トイレ] 公園の西側入り口近くにあり 男女共用 障害者利用可
掃除はしてあるが古くてあまり綺麗には見えない
大便器は 障害者用 男女共用 トイレットペーパーあり 洋式ですが ウォシュレットではありません
[感想] 散歩や ランニングに 良い
複合遺跡というのがとても 興味深い 外国では 遺跡の 周辺は 多くは砂漠になっており それは植林をしないからだという説があり 当地は 長い期間において人が住んでおり何らかの技術的な差があったと考えますがどう 考えますか?
生活の跡が 途絶えた時 何が起きたのだろう 気候の変動だろうか 戦争のせいか 気になります
[ 蛇足] 近く の 団地の 通りに 紅葉の季節は銀杏の並木があり...
Read more黒目川・本邑橋を渡り、団地の北側へ入ると高台がある。樹木の茂る静かな遺跡公園になっています。
この地には3万年前の旧石器時代、すでに人が住んでいたという。3万年前といえばナウマンゾウやオオツノジカが棲んでいた途方もない大昔のこと、そうした大型動物を追う狩人だったようです。 その後、何度も途絶えながらも「ムラ」が生まれることを繰り返し、旧石器、縄文、弥生、奈良、平安と各時代の生活の跡が残り、「複合型遺跡」と呼ばれる貴重な場所とのことです。
黒目川と出水川の合流する豊かな水と日当たりのいい高台で、住み心地の良さは今も変わらないようで、周辺はかなりの数の団地が並んでいます。
公園の片隅、一段高くなった所に古代の櫓を想わす四阿に風情を感じて、ベンチでひと休みしていると頭上の枝に野鳥が群をなして飛んできて、合唱のようにさえづり始めた。
遺跡館があり、中に入らずガラス越しに見ますが、もう少し明るくないとせっかく...
Read more車通りのある道路沿いにあり、近くに横断歩道もあるが、歩道橋を渡ると降りた所が入口。けやきの木、桜、銀杏、栗、椎ノ木、つつじ、シュロの木、桑の木まであり、緑地と芝生、が多く、一部砂地で、コンクリートの遊歩道をゆく感じ。所々に遺跡跡などがあり、背もたれなしベンチ6つ、テーブル席5つがあり(日なた)、入口付近には公衆トイレと手洗い場があり、真ん中辺りには東屋がある。団地と隣接していて、散歩や通勤、通学などで通り...
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