Es un templo pequeño pero con mucho encanto, uno de los 88 templos budistas de la isla de Shikoku, donde los japoneses peregrinan. El Shōryūji es el número 36 de esto templos, ya que cada uno tiene su número propio. En cada uno de ellos tienen sus propios amuletos (ōmamori) y el sello particular de cada uno, que a petición del visitante ponente en un libro especial junto con la fecha de la visita. Está hermanado con el Camino de Santiago desde 2015 y en ambos recorridos los motivos de peregrinaje son tan amplios como los participantes. La primera finalidad es básicamente religiosa para los que quieren expiar pecados, pedir por la salud propia o de un familiar…etc. pero también hay quien lo hace para recrearse en la naturaleza y conocer una parte de Japón más profunda y...
Read more四国遍路36番札所「青龍寺」は、高知県土佐市竜に建っているお寺です。 横浪半島の東にあり、太平洋を望む。🌊 周辺には明徳義塾高校があり、元横綱「朝青龍」が境内の石段で足腰を鍛えていたという。 青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。 弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。 帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。 明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。 ここをあとにすると、37番札所へは、宇佐大橋を渡って戻り、県道23号線経由で須崎まで行くルートと、横浪半島に沿って西へ進み、県道23号線に合流して須崎へ行くルートの2択があり、両ルートとも須崎から国道56号線か高知道無料区間で四万...
Read more波きり不動明王をお祀りしているお寺さんです。 海水浴場が近くにあり日本海を見渡す島になっていました。
青龍寺の歴史・由来
青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。 弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。
帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。 明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰さ...
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