もちがせの流し雛は、旧暦の3月3日に男女1対の紙雛を桟俵に乗せ、ひし餅や桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川に流す風習があるそうです。(パンフレットより)
雛流しそのもの原型は、平安時代にさかのぼるといわれています。
本当に日本古来の文化は美しく、素敵です。
現在でも、その風習はこの地もちがせで行われているとの事で、これからも日本の素晴らしい文化を続けて頂きたいと感じました。
もちがせ流しびなの館に入館しました。 展示室には、江戸時代の雛人形や雛飾り等など貴重な雛人形が展示されています。
時代の流れによる日本文化の変遷を、雛人形から感じ取る事が出来ます。
江戸時代から現在に伝わる雛人形の視点から当時の日本の状況はどうだったかと、連想するだけでロマンを感じます。
当時は現代に比べて不便だったかもしれませんが、心の中の豊かだ...
Read more千代川に架かる〔ひいな橋〕の西詰に水原春郎の句碑が建っている。 里の子の晴着の袖や雛ながし 春郎 水原春郎(はるお)は、水原秋桜子の長男。平成10年(1998)建立の碑。 〔流しびなの館〕の入口には山口誓子の句碑のが建っている。 瀬の曲りなぞりて雛の流れゆく 誓子 昭和59年(1984)建立の碑。 前庭には黛まどか句碑 やゝありて流れはじめし雛(ひいな)かな まどか 町民会館側の玄関脇には八百谷杜仙句碑が建っている。 山里はむかしのまゝや雛流す 杜仙 平成11年(1999)建立の碑。氏は用瀬町の人で郷土文化振興に尽力した。 千代川対岸の河川敷・ひな流し催場に国丘翠歌碑が建っている。 岩はだをすべるがごとき川の瀬を流しびなあやふく越えてゆきたり 国丘翠(...
Read more昔から雛人形がどう変わっていったかが分かる、数少ない博物館です。流し雛は旧暦3月3日に限ってイベントをやっているようてんす。展示はされていて、(男雛から見て)左側(向かって右側)が位が上の配置(京都雛相当)で行われている様です。 「赤いお顔の左大臣(作詞家は左右を逆に覚えていた)」は、常に男雛から見て左(向かって右)は変わらない様です。 明治になって、西洋の「男が向って左」の風習にならい、関東では男雛と女...
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