八百萬姫は恐らく唯一、民俗芸能の 「神楽」の演目中に出てきます。「所望分」「五代龍」等の名前で地域により若干内容を変えながら広く伝わっています 大筋は大昔4人の王が世界を支配していました そこに一人の女性(八百萬姫 以下姫)が現れ 自分に王達の所有分を渡せと言ってきます 王達は色々な理由を付けて断ります 遂に戦となります 中々決着がつきません そこに仲裁者が現れ4人の王の領分から等分に分けて姫に渡すよう提案します(90日から18日分(土用: 土用とは、立春・立夏・立秋・立冬より前の約18日間) を4王から分け 合計72日分を姫の取り分にします 詰り360日の5等分ですね) そして一件落着で一緒に舞ます (南部神楽ですと 天八十萬玉姫尊をアマノヤオヨロズノヒメと呼んでいます)
神楽は山伏 修験者が全国に伝えたものが最初だと言われます 天地開明や岩戸開きスサノオの大蛇退治等古代の神話(出来事)に関する共通の演目が全国に伝わっています 当然この「所望分」等と呼ばれる演目も重要な出来事として各地に伝えられたのでしょう 内容からして 全国を揺るがす大事件だったと思われます 神社伝承 古文書の1節 碑文 隠された言い伝え等いわば【古代の記憶】とも言うべきこれらの断片から その大事件を想像する事もできます
大昔 世界を支配していた天之御中主尊に五人の王子がいた 長男天八下尊 次男 天三下尊 三男天合尊4男天八百日尊 そして5男の天八十萬魂尊(アメノヤソヨロズムスビノミコト) やがて王位は5男に譲られた(古代は末子相続) 新王は良く世を治めたが若くして急死してしまった 人々は新王を慕い天八百萬魂尊(アメノヤオヨロズムスビノミコト)の名を贈った 妻は「八百萬姫」と呼ばれるようになった 4人の兄達は 姫の息子が跡継ぎとして育つまで自分達が代わりに世を治めるという約束をした 年月がたち成長した息子を連れて
ーーーー此処から神楽になるーーーーーーー
姫は4人の兄達に会いに行く しかし兄達は色々理由を付け譲位を断る (姫は夫の死因と息子達の身辺に起こる事件に疑惑を抱いていた) 終に争いが起き始めた 決着がつかず 天之御中主尊の使者が現れ支配権領土の分割を提案
ーーーーー此処までが神楽の内容ーーーーーー
時は経ち4王達の次にその妻達の時代となり そして妻達の時代も終わり 世界は一つに統一されるようになった その王が天八百萬魂尊の息子の高御産巣日神(たかみむすび)そして次に弟の神産巣日神(かみむすび)であった
姫は 愛する者の為正義の為なら命懸けでも戦う 気高くそして勇敢さを秘めた姫様だったのではないかと思います
神社をめぐり そこに伝わる伝承や各地の言い伝え等を知る事は ...
Read moreA arquitetura é muito linda! Se você visitar o santuário Kehi Jingu não deixe de vir até aqui no Jōgū. Este santuário apresenta uma abundância de beleza natural que muda de estação para estação, como flores de ameixa, flores de cerejeira e cores de outono. Visitei em 2022/03/02 no início da floração das ameixeiras. A ameixeira é única porque não floresce na primavera, mas no meio do inverno. Suas cinco pétalas pequenas e macias contrastam com a aspereza do frio. Seu delicado rosa preenche o cenário de neve branca. Assim, a floração das ameixeiras significa perseverança e fé diante das dificuldades, além de uma beleza corajosa que abre caminho para a primavera através de...
Read more【常宮神社】(じょうぐうじんじゃ) 2823.10.2 敦賀市内の神社をググると、金崎宮・氣比神宮とともに、この常宮神社が出て来ました。写真やクチコミがいい感じだったので、お詣りしました。 氣比神宮から車で20分ほど、敦賀半島の北側、敦賀湾の西側の海沿いに鎮座されていました。 海側の拝殿からは敦賀湾が一望でき、秋晴れの穏やか海が見れました。 安産と航海安全の神社で、地元では「お産のじょうぐうさん」と呼ばれ親しまれている神社だそうです。 神功皇后が、ここで皇子の応神天皇を安産したことから、安産の神様として崇められています。 神功皇后は、氣比神宮の祭神・仲哀天皇の妻であるため、常宮神社は氣比神宮と夫婦とされ、常宮神社は奥宮といわれています。 毎年7月には、氣比神宮の祭神・仲哀天皇を納めた船神輿が船で海を渡り、神功皇后を祭る常宮神社まで会いに行くというロマンチックな神事が執り行われているそうです。
常宮神社は古くは「常宮(つねのみや)」「常宮御前」「常宮大権現」とも称されたそうです。古くは「つね(の)みや」と訓読みされたが、中近世から「じょうぐう」と音読みされるようになったそうです。 主祭神は天八百萬比咩命(あめのやおよろずひめのみこと)で、養蚕の神として上古より当地に鎮座したということから、天八百萬比咩命は在地の神であると考えられているそうです。また、他の6柱の祭神は、氣比神宮と同じです。 常宮神は気比神と関係が深いとされており、古くは「本宮・摂社」「口宮・奥宮」「ひもろぎの宮・鏡の宮」「上社・下社」などと一対で...
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