「秀吉の大阪城」の上に新たに築城した2代目「徳川の大阪城」大手門桝形には、加藤清正公三男の肥後藩主「加藤忠広」が寄進した小豆島産の巨大な花崗岩の石垣があり「見附石」「大手二番石」「大手三番石」と呼ばれています。徳川の大阪城が完成した三代将軍家光の時代になると、忠広は改易を宣告され肥後熊本藩54万石は没収そして出羽庄内の酒井家にお預けになりました。その後、忠広は出羽丸岡に一代限り堪忍分1万石を与えられ、20人ほどの家臣と共に、没する迄の22年間をここ丸岡で過ごしました。大阪城大手門「見附石」の写真を投稿しました。此の巨石の前に佇むと「忠広」の無念が伝わ...
Read more駐車場は、敷地内にある「旧日向家住宅」(現在の名前は、丸岡城跡史跡公園ガイダンス施設「楽朋館」)の近くに数台分しかないので、不安な方はタクシー、ハイヤーを利用してください。鶴岡市内から15分程で着きます。 加藤清正公や、息子の忠廣公に関する史料もあります。たまにガイドの方がいて、案内もしてくれます。電話でガイド...
Read more2025.7.4 丸岡城は戦国初期の押切備前守の築城と伝えられ、後に丸岡兵庫頭義興の居城となった。寛永9年(1632年)、改易の加藤忠広を庄内藩が預かり、幽居の館を建てた。城跡は北と西に土塁と濠の痕跡があり、東の大手門跡の他、古...
Read more