大慧山瀧水寺は、真言宗のお寺で鎌倉時代の正応年間(1290年ころ)に慧算法印が創建し、その後、安土桃山時代の天正15年(1587年)に矢沢薩摩守綱頼によって再建されました。
山門をくぐると右奥に「水現不動」と書かれた護摩堂があります。このお堂の右にある鳥居の奥の岩から不動尊が現れると言われています。護摩堂には不動尊像が祀られているそうです。
信濃史学界の先達の一人といわれる、瀬下敬忠(宝永6年(1709年)佐久郡三(現:佐久市)生れ)が編述した「千曲之真砂(ちくまのまさご)」には次のようにあります。小県郡赤坂村真言宗大恵山滝水寺といへる寺のうしろ不残大岩にて、(略)其内に一つの石あり、これに水をそゝけは不動の尊像慥に見ゆ、壬戌(寛保二年)の大雨洪水に山崩れ、右のいわほ欠落たり、其かけたるあとに、又右の如く不動の尊像、縛の縄、利釼、火炎の勢ひ顕然たり、欠落ても欠落てもその下より顕る、掘たる物ニも書たるやうにもなくして、石のきめなり (出典:新編 信濃史料叢書...
Read more「瀧水寺」と書いて「りゅうすいじ」と読みます。真田氏の故地にあっても真田氏との直接的な関係はなく、取り立てての文化財があるわけではないものの、懸造りの観音堂は思わず感嘆の声をあげるほどの見ごたえです。観音堂からの上田平の眺望も最高です。 上田を訪れた観光客のうちでもこの辺りまで足を運ぶ人は少数派で、そのうえ真田氏に無関係とくれば訪問先の候補にすら上がらないと思われますが、あわせての立ち寄り先としては十分な見ごた...
Read more観音堂の登り口にお大師さまがいらっしゃります。
お大師さまと目が会い、ゾクッとする迫力あるお姿に有りがたさを感じました。
この観音堂はそれを建てるにあたった棟梁は17才であったとの事です。
観音堂からの上田平、及び遠くの北アルプ...
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