許波多神社(こはたじんじゃ)。京都府宇治市木幡東中。
式内社(名神大)「許波多神社」三座の論社。旧郷社。
主祭神:天忍穂耳尊、瓊々杵尊、神日本磐余彦尊(神武天皇)。
資料によると、 社伝では、大化元年(645年)、皇極天皇が夢で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営させたと伝えられる。壬申の乱を前に大海人皇子が大津宮から吉野に向かう際、社頭に柳の枝を挿して「我に天位を践まば、この柳、芽を出すべし」と戦勝を祈願した。大海人皇子が即位すると柳の枝が芽を出したことから、天皇は霊験を賛えて「柳大明神」の名を贈り、社領を寄進したという。
応保年間(1161-1163)に、柳山から、現在地に分祀されたと伝えられる。
明治41年(1908年)に旧河原村の田中神社を合祀したため、同社の祭神であった天照大御神、天津日子根命も祭神としている。
境内には「狐塚」と呼ばれる宇治陵第36号墳墓があり、藤原基経の墓と伝えら...
Read more宇治市に現存する許波多神社は2ヶ所あり、その一つとして古墳と共に鎮座されてます。東側山手の黄檗トンネル近くの元社 (黄檗公園辺り)は、旧日本軍による弾薬庫設営のため移築されました。かつて、その弾薬庫への移送貨物鉄道の軌道が神社裏にありました。今はレールを撤去されてますが、盛り土した軌道堤が木幡北池の方まで残って現在は遊歩道&...
Read more22年10月13日に訪れました。
大化元年(645年)、皇極天皇が夢でお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営したのがはじまりです。 御祭神は、天忍穂耳命です。
大海人皇子や坂上田村麻呂が戦勝を祈願したため、勝運を授ける神社として信仰されています。 本殿前に大海人皇子(後の天武天皇)が腰掛けて休んだと伝わる「お休み石」があり、この石に腰掛けると勝運が授かるといわれています。 田中神社も合祀されています。
境内には「狐塚」と呼ばれる宇治陵第36号墳墓があり、藤原基経の墓といわれています。
また、本殿向かって左側には立派なくすのきがあり、樹齢約150年、高さ22m、幹回り3.3mあります。
毎月1日、15日9~12時に御朱印がいただけます。
JRの線路沿いにある遊歩道の近くにあり、遊歩道を散策している時に『許波多神社』を見つけ行ってみました。 近くの保育園の園児が神社の...
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