#風の強い日に参詣!まだ花咲く頃には早い3月末に祈願。伊達家由来の由緒ある神社です。社務所のボタンを押し、御朱印をいただきました。2種類あるらしく、今回は参詣した涌谷神社のものを500円でいただきました。取置きしているものしかこの日は対応しないようでした。次回は黄金山神社にも参詣し、黄金山神社の御朱印をいただきたいですね。お金持ちになれるかしら^^ #市道から神社に向かって坂道を上ると駐車場があります。30台はとめらるのではないでしょうか。参道や庭園がすぐそばです。桜の時期は売店もできて賑やかになります! #当社ご祭神、涌谷伊達氏(亘理)4代の館主、伊達安芸宗重公を中心として繰り広げられる、大要の歴史。 鎮座地 宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町7 祭 神 赤心猛雄命(伊達安芸宗重公) 配 祀 応神天皇 例 祭 4月27日 江戸時代初期、伊達安芸宗重公は仙台藩一門、涌谷伊達(亘理)氏第4代の館主として当地を治めていました。2万3千石を領し、治世20年文武を励み野谷地の開発に力を尽くし産業の復興につとめた名君です。 その館主宗重公の徳を追慕し、明治7年12月官許を得て、宗重公の御霊を祀る神号を「赤心猛雄命」と称し、旧館址に神社を建立し、その御霊を奉祀いたしました。 宗重公は寛文事件(伊達家のお家騒動)の中心人物で、仙台藩62万石の安泰を期した大人物です。 寛文年中、藩主綱村公が幼少の為、後見伊達兵部宗勝の独裁的権力の支配下にありました。悪人はびこる後見政治の打倒をはかりましたが、寛文11年(1671年)3月27日、大老酒井忠清屋敷の裁判において、乱心した家老原田甲斐に斬殺されました。享年57歳でした。 延宝2年(1674年)3月27日、藩主伊達綱基(のち綱村に改名)公の筆「尽忠見龍院」を、宗重公のお墓である廟の額とするよう嫡子(息子)の宗元に贈り、父の忠節を賞しました。 大正9年(1920年)、旧物見台(旧涌谷城本丸跡)に神明造の新社殿が...
Read moreRead more城山公園の奥にあります。お祭り用のお神輿が出てまして…でも撮影が下手くそで写真は真っ黒です(
参拝しようと駐車場に行くと平日なのに車が一杯で停めるところが無く人気の神社なのかと思ったが皆車に一人で乗っている異様な雰囲気で何か宗教的な集まりなのかと思ってゾワっとした 少し怖くなって考えてみたらその先に中学校があるのでそこの迎かと思ったがそれもどうなのかとモラルを疑う 神社とは話がついてるのかもしれないが参拝者からしたらこの土地にいい感じを持たないな集落の風習なら仕方無いのかもしれないが 神社も神社で階段登って行ったら車が真ん中に停まっていていかにも参拝に来るなという感じで色んな意味で再訪は無いな 黄金山神社の御朱印もここで貰えるとの情報だったが御朱印という文字はどこにもありませんでした 桜の名...
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