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Iwatoyama History and Culture Exchange Centre — Attraction in Yame

Name
Iwatoyama History and Culture Exchange Centre
Description
Nearby attractions
Iwatoyama Kofun
1554 Yoshida, Yame, Fukuoka 834-0006, Japan
Nearby restaurants
Yamagoya Hirokawa
710-1 Kawakami, Hirokawa, Yame District, Fukuoka 834-0113, Japan
Satoshi
651-8 Kawakami, Hirokawa, Yame District, Fukuoka 834-0113, Japan
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Iwatoyama History and Culture Exchange Centre tourism.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre hotels.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre bed and breakfast. flights to Iwatoyama History and Culture Exchange Centre.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre attractions.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre restaurants.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre travel.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre travel guide.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre travel blog.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre pictures.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre photos.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre travel tips.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre maps.Iwatoyama History and Culture Exchange Centre things to do.
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Iwatoyama History and Culture Exchange Centre
JapanFukuoka PrefectureYameIwatoyama History and Culture Exchange Centre

Basic Info

Iwatoyama History and Culture Exchange Centre

1562-1 Yoshida, Yame, Fukuoka 834-0006, Japan
4.3(139)
Closed
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Family friendly
Accessibility
attractions: Iwatoyama Kofun, restaurants: Yamagoya Hirokawa, Satoshi
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Phone
+81 943-24-3200
Website
city.yame.fukuoka.jp
Open hoursSee all hours
Sun9 AM - 5 PMClosed

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Iwatoyama Kofun

Iwatoyama Kofun

Iwatoyama Kofun

4.5

(51)

Open 24 hours
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An extraordinary Japanese tea culture experience in Omuta Station, a 0-minute walk from the station
An extraordinary Japanese tea culture experience in Omuta Station, a 0-minute walk from the station
Tue, Dec 9 • 2:30 PM
836-0843, Fukuoka, Omuta, Japan
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Nearby restaurants of Iwatoyama History and Culture Exchange Centre

Yamagoya Hirokawa

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Yamagoya Hirokawa

Yamagoya Hirokawa

3.6

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サトシサトシ
九州最大級の前方後円墳、岩戸山古墳。こちらの館では、その被葬者である筑紫君磐井(つくしのきみいわい)に関する資料と、独自色の強い「石人・石馬」の展示が中心となっています。 筑紫君磐井については、「日本書紀」と「筑前国風土記」の逸文とで描かれ方が異なります。どちらの資料も紹介されており、その差を見比べるのも面白いところです。継体天皇の時代、磐井は筑紫だけではなく、“火(肥)の国”と“豊の国”の豪族もまとめて、ヤマト王権に戦いを挑みました。館内のビデオや資料を観ると、彼がいかに有力な豪族だったか伝わってきます。戦いには敗れてしまいましたが、九州の英雄として描かれています。 継体天皇は王朝交代説があるほど異色の出自で、ヤマト王権内部にもさまざまな動きがあったと想像されます。そのうえ、朝鮮半島でも高句麗・百済・新羅の対立が激しさを増していた時期。磐井もまた、そのはざまで選択を迫られた一人だったのかもしれません。 敗北ののち、磐井の子・葛子は糟屋の屯倉(みやけ)を献上します。これをきっかけにヤマト王権は北部九州に屯倉を次々と設け、直接支配を強めていったそうです。余談ですが、その後これらの屯倉を統括する那津官家(なのつのみやけ)が置かれ、白村江の戦い以降は、その機能が大宰府へと受け継がれていきます。 ふと、「あの戦いのあとに、岩戸山古墳を築く余力はあったのだろうか?」と思いましたが、どうやら古墳は戦いの前に完成していたようです。 石人・石馬は、ただの親しみやすい石像にも見えますが、資料を読み進めると、その存在が他の地域では見られない特異な文化であることが分かってきます。伝播の範囲が北部九州で止まっているという点で、支石墓(ドルメン)を思い出しました。支石墓はヨーロッパから東へ広がり、朝鮮半島では大流行したのに比べて、石人・石馬はむしろ朝鮮半島では見られず、中央アジアのスキタイやテュルク系などの遊牧民族に似たような石像文化があるようです。 思えば、馬が日本に伝わったのは5世紀頃。同時期に石人・石馬が登場していることを考えると、当時の人々にとって馬は、衝撃的な存在だったのかもしれません。馬とともに渡来した人々が、関連する技術や石像の文化をも伝えたのだろうかと想像がふくらみます。当時の人たちは、そんな石の馬で古墳を飾ることで、磐井の威信を後世に伝えたかったのかなと思いつつ、その気持ちを分かった気になっています。
いいコレいいコレ
こちらでは、隣接する岩戸山古墳や八女古墳群から出土した貴重な資料が展示されており、古代九州の大豪族『筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)』にスポットを当てた常設展示室や歴史交流ステーションなどの〝知る・交流・体験″することができます。 常設展示室に入ると、入り口から大きな石盾が展示しています。 中央に展示されている『石人・石馬』は、まるで1500年前にタイムスリップしたかのように思ってしまう空間です。 古墳を彩り、護る石人・石馬のほとんどが重要文化財の数々です。 大半の古墳には土でできた埴輪を並べたのに対し、筑紫君一族はあえてそれを取り入れず、地元の石で作った『石人・石馬』を立て並べました。広川町の石人山古墳に立つ『武装石人』はその最初の頃の石人です。 石人や石馬を立て並べた一番の理由は、ヤマト王権とは全く異なる立場を埴輪と石人で表現し、王権からの独立を目に見える形で表現したかったからなのです。 土製の埴輪は10数年位で壊れてしまいますが、石人・石馬は石でできているので100年位では壊れません。ここにも、一族の思いの強さが出ているようです。 磐井の乱後、ヤマトから来た兵は、怒りゆえか恐れゆえか石人たちを叩き壊したそうです。その後は、ひっそりと古墳内部の石室で、装飾壁画が花開いていきます。独自性を持つことをやめなかった先人。磐井一族の誇り高き心が伝わるようです。 九州古代文化のシンボル的な存在である石人・石馬の多くは重要文化財に指定されており、郷土の英雄『筑紫君磐井』を超然と守り、凛として立つ姿を見れる施設は、全国でもここ岩戸山歴史文化交流館(いわいの郷)だけです。
nabechan2116nabechan2116
福岡県八女市の北西部福島地区にある古墳群について展示紹介している施設だが、レクリエーションの場としても活用されており八女市の文化的総合施設と言ってもよい。 公共交通機関だとJR・西鉄久留米駅からバスで40分くらいの福島高校前で下車してすぐ。本数はおよそ20分ごとと比較的多め。 全国でもめずらしい人や馬などの形をした石が出土されており、石橋や磁器をはじめとした九州と石との歴史的な繋がりの強さを改めて感じさせられる。 また、某テレビ番組でも紹介がされており近年注目を集めている。 入場料無料の館内では石人石馬や古墳、磐井の乱が起きた経緯について、出土品や映像によって紹介されていた。 ここのスゴいところは、この手の重要文化財指定の貴重な出土品は大体国立博物館預かりになるが、ほとんどの石人石馬などの出土品はこの岩戸山で目にすることが出来るのだ。 入り口が厳重密閉されたり暗室状態だったりした理由がよく分かった。 映像では磐井の乱はヤマトに単純に反旗を翻したのではなく、朝鮮半島との外交の駆け引きを行っていたため、出兵の命令を下したヤマトとの対立により起きてしまった内乱だという説明がされていた。 歴史学を学んでいた手前、史観は土地や時代、人間によって異なるものだと改めて痛感させられた。
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九州最大級の前方後円墳、岩戸山古墳。こちらの館では、その被葬者である筑紫君磐井(つくしのきみいわい)に関する資料と、独自色の強い「石人・石馬」の展示が中心となっています。 筑紫君磐井については、「日本書紀」と「筑前国風土記」の逸文とで描かれ方が異なります。どちらの資料も紹介されており、その差を見比べるのも面白いところです。継体天皇の時代、磐井は筑紫だけではなく、“火(肥)の国”と“豊の国”の豪族もまとめて、ヤマト王権に戦いを挑みました。館内のビデオや資料を観ると、彼がいかに有力な豪族だったか伝わってきます。戦いには敗れてしまいましたが、九州の英雄として描かれています。 継体天皇は王朝交代説があるほど異色の出自で、ヤマト王権内部にもさまざまな動きがあったと想像されます。そのうえ、朝鮮半島でも高句麗・百済・新羅の対立が激しさを増していた時期。磐井もまた、そのはざまで選択を迫られた一人だったのかもしれません。 敗北ののち、磐井の子・葛子は糟屋の屯倉(みやけ)を献上します。これをきっかけにヤマト王権は北部九州に屯倉を次々と設け、直接支配を強めていったそうです。余談ですが、その後これらの屯倉を統括する那津官家(なのつのみやけ)が置かれ、白村江の戦い以降は、その機能が大宰府へと受け継がれていきます。 ふと、「あの戦いのあとに、岩戸山古墳を築く余力はあったのだろうか?」と思いましたが、どうやら古墳は戦いの前に完成していたようです。 石人・石馬は、ただの親しみやすい石像にも見えますが、資料を読み進めると、その存在が他の地域では見られない特異な文化であることが分かってきます。伝播の範囲が北部九州で止まっているという点で、支石墓(ドルメン)を思い出しました。支石墓はヨーロッパから東へ広がり、朝鮮半島では大流行したのに比べて、石人・石馬はむしろ朝鮮半島では見られず、中央アジアのスキタイやテュルク系などの遊牧民族に似たような石像文化があるようです。 思えば、馬が日本に伝わったのは5世紀頃。同時期に石人・石馬が登場していることを考えると、当時の人々にとって馬は、衝撃的な存在だったのかもしれません。馬とともに渡来した人々が、関連する技術や石像の文化をも伝えたのだろうかと想像がふくらみます。当時の人たちは、そんな石の馬で古墳を飾ることで、磐井の威信を後世に伝えたかったのかなと思いつつ、その気持ちを分かった気になっています。
サトシ

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こちらでは、隣接する岩戸山古墳や八女古墳群から出土した貴重な資料が展示されており、古代九州の大豪族『筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)』にスポットを当てた常設展示室や歴史交流ステーションなどの〝知る・交流・体験″することができます。 常設展示室に入ると、入り口から大きな石盾が展示しています。 中央に展示されている『石人・石馬』は、まるで1500年前にタイムスリップしたかのように思ってしまう空間です。 古墳を彩り、護る石人・石馬のほとんどが重要文化財の数々です。 大半の古墳には土でできた埴輪を並べたのに対し、筑紫君一族はあえてそれを取り入れず、地元の石で作った『石人・石馬』を立て並べました。広川町の石人山古墳に立つ『武装石人』はその最初の頃の石人です。 石人や石馬を立て並べた一番の理由は、ヤマト王権とは全く異なる立場を埴輪と石人で表現し、王権からの独立を目に見える形で表現したかったからなのです。 土製の埴輪は10数年位で壊れてしまいますが、石人・石馬は石でできているので100年位では壊れません。ここにも、一族の思いの強さが出ているようです。 磐井の乱後、ヤマトから来た兵は、怒りゆえか恐れゆえか石人たちを叩き壊したそうです。その後は、ひっそりと古墳内部の石室で、装飾壁画が花開いていきます。独自性を持つことをやめなかった先人。磐井一族の誇り高き心が伝わるようです。 九州古代文化のシンボル的な存在である石人・石馬の多くは重要文化財に指定されており、郷土の英雄『筑紫君磐井』を超然と守り、凛として立つ姿を見れる施設は、全国でもここ岩戸山歴史文化交流館(いわいの郷)だけです。
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福岡県八女市の北西部福島地区にある古墳群について展示紹介している施設だが、レクリエーションの場としても活用されており八女市の文化的総合施設と言ってもよい。 公共交通機関だとJR・西鉄久留米駅からバスで40分くらいの福島高校前で下車してすぐ。本数はおよそ20分ごとと比較的多め。 全国でもめずらしい人や馬などの形をした石が出土されており、石橋や磁器をはじめとした九州と石との歴史的な繋がりの強さを改めて感じさせられる。 また、某テレビ番組でも紹介がされており近年注目を集めている。 入場料無料の館内では石人石馬や古墳、磐井の乱が起きた経緯について、出土品や映像によって紹介されていた。 ここのスゴいところは、この手の重要文化財指定の貴重な出土品は大体国立博物館預かりになるが、ほとんどの石人石馬などの出土品はこの岩戸山で目にすることが出来るのだ。 入り口が厳重密閉されたり暗室状態だったりした理由がよく分かった。 映像では磐井の乱はヤマトに単純に反旗を翻したのではなく、朝鮮半島との外交の駆け引きを行っていたため、出兵の命令を下したヤマトとの対立により起きてしまった内乱だという説明がされていた。 歴史学を学んでいた手前、史観は土地や時代、人間によって異なるものだと改めて痛感させられた。
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九州最大級の前方後円墳、岩戸山古墳。こちらの館では、その被葬者である筑紫君磐井(つくしのきみいわい)に関する資料と、独自色の強い「石人・石馬」の展示が中心となっています。 筑紫君磐井については、「日本書紀」と「筑前国風土記」の逸文とで描かれ方が異なります。どちらの資料も紹介されており、その差を見比べるのも面白いところです。継体天皇の時代、磐井は筑紫だけではなく、“火(肥)の国”と“豊の国”の豪族もまとめて、ヤマト王権に戦いを挑みました。館内のビデオや資料を観ると、彼がいかに有力な豪族だったか伝わってきます。戦いには敗れてしまいましたが、九州の英雄として描かれています。

継体天皇は王朝交代説があるほど異色の出自で、ヤマト王権内部にもさまざまな動きがあったと想像されます。そのうえ、朝鮮半島でも高句麗・百済・新羅の対立が激しさを増していた時期。磐井もまた、そのはざまで選択を迫られた一人だったのかもしれません。

敗北ののち、磐井の子・葛子は糟屋の屯倉(みやけ)を献上します。これをきっかけにヤマト王権は北部九州に屯倉を次々と設け、直接支配を強めていったそうです。余談ですが、その後これらの屯倉を統括する那津官家(なのつのみやけ)が置かれ、白村江の戦い以降は、その機能が大宰府へと受け継がれていきます。 ふと、「あの戦いのあとに、岩戸山古墳を築く余力はあったのだろうか?」と思いましたが、どうやら古墳は戦いの前に完成していたようです。

石人・石馬は、ただの親しみやすい石像にも見えますが、資料を読み進めると、その存在が他の地域では見られない特異な文化であることが分かってきます。伝播の範囲が北部九州で止まっているという点で、支石墓(ドルメン)を思い出しました。支石墓はヨーロッパから東へ広がり、朝鮮半島では大流行したのに比べて、石人・石馬はむしろ朝鮮半島では見られず、中央アジアのスキタイやテュルク系などの遊牧民族に似たような石像文化があるようです。

思えば、馬が日本に伝わったのは5世紀頃。同時期に石人・石馬が登場していることを考えると、当時の人々にとって馬は、衝撃的な存在だったのかもしれません。馬とともに渡来した人々が、関連する技術や石像の文化をも伝えたのだろうかと想像がふくらみます。当時の人たちは、そんな石の馬で古墳を飾ることで、磐井の威信を後世に伝えたかったのかなと思いつつ、その気持ちを分...

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昔あった施設が場所も変わって新たにオープン…してしばらく経つ。 入館は無料。駐車場も無料。他の博物館と同様に月曜が休館日。(祝日の場合は翌日だったかな?) 九州オルレのコースにもなっている。 入口付近には磐井の石像があり、出迎えてくれる。 施設内は展示室と研修室がメイン。 展示室には筑紫国造磐井を中心に、岩戸山古墳に関する展示がズラリ。展示室内中央に並ぶ石人や石馬は圧巻。土器や埴輪と違って、重厚感がある。 研修室は貸し出しされているみたい。また、たまにイベントが行われている。勾玉つくりや石人づくりなどさまざまなイベントを行っているみたいなので、自分で調べて参加してみよう。 あとは八女市(旧八女郡含む)の紹介っぽいコーナーが少し。 グッズの販売はこれ系の資料館にしては少ない方だと思う。 八女のアピールと岩戸山古墳・磐井の紹介には十分な施設となっている。 施設内から岩戸山古墳(別区付近)に直接行けるようになっている。 また、道路を挟んだ反対側には竪穴住居と高床倉庫の復元模型があり、多分入れるはず。(営業時間内は開いていると書いてあるが、開いていて入れた試しがない。) 付近にある、岩戸山古墳4号墳まで行くと石室の中まで入ることができる。このように常時石室の中まで入ることができるのはあまり知らなかったので、素晴らしいと思った。雰囲気は明日香の石舞台古墳を小さくした感じかな。石舞台は有料、こちらは無料。迫力を求めるなら石舞台へどうぞ。しかし、これでも石室の雰囲気は十分に味わうことができる。中は暗いので、懐中電灯があった方がいいが、無かったら、この資料館で借りること...

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こちらでは、隣接する岩戸山古墳や八女古墳群から出土した貴重な資料が展示されており、古代九州の大豪族『筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)』にスポットを当てた常設展示室や歴史交流ステーションなどの〝知る・交流・体験″することができます。

常設展示室に入ると、入り口から大きな石盾が展示しています。

中央に展示されている『石人・石馬』は、まるで1500年前にタイムスリップしたかのように思ってしまう空間です。

古墳を彩り、護る石人・石馬のほとんどが重要文化財の数々です。 大半の古墳には土でできた埴輪を並べたのに対し、筑紫君一族はあえてそれを取り入れず、地元の石で作った『石人・石馬』を立て並べました。広川町の石人山古墳に立つ『武装石人』はその最初の頃の石人です。

石人や石馬を立て並べた一番の理由は、ヤマト王権とは全く異なる立場を埴輪と石人で表現し、王権からの独立を目に見える形で表現したかったからなのです。 土製の埴輪は10数年位で壊れてしまいますが、石人・石馬は石でできているので100年位では壊れません。ここにも、一族の思いの強さが出ているようです。 磐井の乱後、ヤマトから来た兵は、怒りゆえか恐れゆえか石人たちを叩き壊したそうです。その後は、ひっそりと古墳内部の石室で、装飾壁画が花開いていきます。独自性を持つことをやめなかった先人。磐井一族の誇り高き心が伝わるようです。

九州古代文化のシンボル的な存在である石人・石馬の多くは重要文化財に指定されており、郷土の英雄『筑紫君磐井』を超然と守り、凛として立つ姿を見れる施設は、全国でもここ岩戸山歴史文化交流館...

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