恩智神社(おんちじんじゃ)。大阪府八尾市恩智中町。
式内社(名神大)二座、河内国二宮。旧府社。
主祭神:大御食津彦命...
Read more創建が470年(古墳飛鳥時代)という河内国二ノ宮で、御祭神は大御食津彦命(おおみけつひこのみこと)、大御食津姫命(おおみけつひめのみこと)でございます。 元は天児屋根命(あまのこやねのみこと)が主祭神とされていましたが、枚岡神社、奈良の春日大社と遷座された事から「元春日」ともいわれるそうです。 楠木親子に協力したといわれる豪族で神職だった恩智左近が恩智城築城の折、畏れ多いという事で城を建てる土地より高い位置にテイクバックし、今の場所に建て直されたそうです。 恩智一体が南北朝時代の前線基地であった事に思いを馳せるのも一興かと思います。 それより以前は、この辺りが大和朝廷の交通の要衝だった事からも大変歴史深い場所に建つ神社であります。 神社のすぐ横には「恩智越え」のハイキングコースの入口があり、恩智神社→信貴山のどか村→朝護孫子寺と辿れます。 手前勝手ですが、関西屈指の見所の多いハイキングコースではないかと思っております。
冬は本殿の真後ろから太陽が昇るので、いつかご来光を拝したいと思っていたところ、先日好日に恵まれまして、手を合わせてまいりました。 自分のスケジュールや体調(メンタル含む)、冬でなるべく好天の日等、なかなか条件が揃わず、行けそうで行けなかった(笑)のですが、やっと叶いました。 この日の日の出時刻が7時5分で、本殿後ろからのご来光は8時35分でした。 日の出から1時間半もかかるとは思っておらず、寒い中待ちましたが、景色を眺めたり、散策していたら、あっという間でした。 このご来光を見てみたいと思った方で、多少信心深いという自負がおありなら、ご来光に合掌すれば、たちまち感動されると思いますよ。 お帰りの際は元来た参道の階段ではなく、神社の北にある駐車場横の車道から帰られた方が平野がよく見れて良い景色が楽しめます。 大変良い神社ですので、オススメいたします。 ご...
Read more恩智神社(おんぢ) 「延喜式」名神大社 旧府社
御祭神 大御食津彦大神 大御食津姫大神(食物の神)
元は天児屋根命を祀っていましたが、今は本殿左に境内社として祀られています。その社殿が本殿なみに立派なので今でも特別な神様なのだと思います。
現在は大御食津彦大神と大御食津姫大神の食物神が主に祀られていますが、ちょうど伊勢神宮の外宮のような立場にあるのだと思います。内宮にあたる神社はどこかは分かりませんが、近くの天照大神高座神社あたりでしょうか。
当社は大阪平野を見渡す絶好の位置にあり、古代、大和川の流れの向こうに難波宮や浪速の港が見えていたはずです。河川の氾濫が多かったものの豊かな穀倉地帯であり、この地を支配した豪族が当社を祀っていたものと思います。
付近は古墳も多く、本殿左奥の傾斜地には古墳の横穴石室が見えます(私の見間違いでなければ)。そうした古墳の被葬者とこの神社の祭神が無関係であったとは思われません。
当社は河内から奈良に抜ける交通の要所でもあり、物資の流通、国防の役割も果たしていたでしょう。背後の高安山には大陸からの侵攻を朝廷に伝える狼煙台もあるので、当然軍勢の動きには無関係ではなかったと思います。
中世には恩智一族による恩智城が作られるなど、時代の変化とともに神社の位置や祭神、神宮寺なども変化していったようです。境内から河内平野を眺めているだけで想像を...
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