玉祖神社(たまのおやじんじゃ)。大阪府八尾市神立。
式内社(小)、旧郷社。
主祭神:櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)
【関係氏族】玉租宿禰(たまのおやのすくね):河内国神別(天高御魂乃命タカミムスヒノカミの十三世孫、建荒木命の後) 勾玉などの玉類を作る人々(玉造り集団)の祖神とされ、三種の神器の一つである「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を造った神として知られています。また、玉祖神社に祀られており、近年では眼鏡のレンズを「玉」と呼ぶことから、眼鏡の神様としても信仰されています。
<合祀> ・式内社(小)御組神社 河内国 高安郡鎮座 【祭神】不詳 ・式内社(小)鴨神社 河内国 高安郡鎮座 【祭神】不詳
資料によると、 生駒を越えて奈良平群へ降りる峠道、十三峠への登り口の南に位置する。 鎮座の麓の地である、現在の高安中学校・北高安小学校の敷地付近からは玉作りの砥石、原材石などが採集されており、この地域が玉作りの遺跡である。 当地の地名「神立(コウダチ)」は当地が神の降り立つ神聖な地であることを示したものでしょう。
高安山麓で玉作りに従事した氏族玉租宿禰の氏神であったと思われる。 また、この神社の神である玉祖命は、もと周防国一宮に鎮座していたが、和銅3年(710)、周防国から摂州住吉浦をへて、この高安の地に渡って鎮座したとされている。 途中、住吉明神から、恩智神社が広大な領地を持つているので、鎮座の地を分け与えてくれるであろうと教へられた。恩智神社は、高安郡七郷のうち、六郷までも玉祖明神に与えたという。玉祖神は感謝のため、毎年9月恩智社に神幸して神供・神馬をささげる慣わしであったという。
中世には発展し、高安を代表する神になつた。
かつては神宮寺として「薗光寺竹之坊」が参道の石段下の脇にあったが、明治維新後の神仏分離により廃寺となった。 神主津村家は和銅3年(710)の遷座以来の神主と伝えている。
尚、当社の合祀の件については、特に説明が見当たりませんが、都夫久美神社のところで、 中世、玉祖神社が高安全域の氏神として勢力を拡げ、都夫久美神社は玉祖社のすぐ近くにあつたため、同社の勢力下に組み入れられた。 玉祖神社は三所大明神といって、一は玉祖大明神、二は香森(中ノ森)大明神、三は鴨森大明神の三神を祀つていた。このうち第二の香森大明神が、都夫久美の神であろうとあり、 三の鴨森大明神のところが、当社の合祀社の御組神社、鴨神社に関係がある様です。 とあります。
参考として、 大和では祭神名が櫛玉命となっている場合には、饒速日命の事と見ていいとは、広瀬大社の樋口宮司の言である。 それは崇仏戦争で物部守屋が蘇我氏と聖徳太子の軍に敗れ去った後の残った物部氏族の祖神を祀る知恵として櫛玉饒速日命の名を櫛玉命のみに隠したと言う事であろう。 この神社では神武天皇大和制圧の功労者である宇麻志麻治命が末席に配さ...
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