Not recommended. Even if one is a historical lovers, the place is really not worth to come. Lack of signage and details at the area. Honestly there is really nothing much to see and it just looked like your regular small forests since almost everything is in ruins and overgrown. Unless you have absolutely nothing to do, otherwise it's really not...
Read more平安時代のこの地方の豪族・出羽清原氏(清原光頼・大鳥山太郎頼遠)の居城跡で、永承・天喜年間(1046~58年)に清原光頼・頼遠(大鳥居太郎)の父子が築城し、大鳥山太郎頼遠は「前九年合戦」で安倍方の安倍正任を匿(かくま)い、これを知った出羽守の軍勢は大鳥山(現在の大鳥井山)を包囲した。この前九年合戦(1051~62年)以降奥羽一帯 を支配していた清原一族の内紛は、源 義家(八幡太郎)の介入により後三年合戦(1083~87年)へと発展し、横手盆地一帯に戦火が広がった。この大鳥井柵は清原家衡が 拠点とした金沢柵と共に焼失し、源 義家・清原...
Read more清原氏史跡 2019年7月14日来訪。
平安時代末期の前九年の役の時に、陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が、陸奥国の豪族安倍氏と戦う為に助力を依頼した、出羽国の豪族清原光頼の居城だったと伝わる。黄海の戦いで、安倍氏に敗れ、兵力を失った頼義は、再三に亘り中立を保っていた清原光頼に助力を依頼し、その結果光頼は弟の武則を派遣した事で形成が優位となり、安倍氏を滅ぼした。その後清原武則は、鎮守府将軍に任じられ、奥羽の覇者となった。また、この前九年の役の際、清原光頼の子、大鳥山太朗頼遠が、安倍方の安倍正任らをかくまった事で、出羽守源斉頼にこの城を包囲されたという。
清原氏の本拠地だったと言われるこの城柵、北側に巨大な堀があり、圧倒される。主郭がある山頂には大鳥井神社の社殿が鎮座している。土塁や堀切も結構綺麗に残っていて、戦国時代の城郭に匹敵する規模という専門家の評価も納得でした。訪ねる価値がある、よい史跡だと思いました。 横手城のすぐ近くなので、ついでに立ち寄っ...
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