今では「宇佐八幡」のように「八幡」を最後に付けるのに対し、古くは「八幡宇佐宮」のように最初に付けた。殊に当社は「古きを表す」社なので、文字通り古式ゆかしき社号ということになる。 神仏習合が当たり前であった時代、仏僧によりインドから伝えられた放生会を、八幡宇佐宮の故事に託けて始めた事自体も大胆極まりない企てであったが、それに便乗するように人形劇までやっていたというのは、当時最大級のお祭り騒ぎだったに違いない。
宇佐神宮の放生会とは 1.鷹羽(田川)香春町の採銅所で採れた銅から、豊比売社(古宮八幡宮)清祀殿で銅鏡を鋳造。八幡神の御正躰として宇佐へ。 2.上毛郡の古表神社と下毛郡の古要神社から、傀儡人形を携えた楽人たちが宇佐へ。 3.八幡宇佐宮からの御輿を勅使道途中にある百体社へ。ここで1.2.と合流し隼人の霊を供養。 4.和間浜の浮殿(和間神社)へ移動。舞楽、鎮魂法要。銅鏡を浮殿に納める。 5.翌日、潮が満ちてきた頃、八幡神が浮殿に出御。僧侶は放生陀羅尼を読誦。傀儡舞や伎楽などが奏舞されるなか、神官が蜷貝を放流。
という、法事の方が付け足しのような一大イベントだったらしい。そこに傀儡を持って行って躍らせるのが、古表神社の先人だった訳か。
そんな傀儡舞を司る面々が、古表大明神こと東殿に祀る四十柱神ということらしい。 八幡宮本殿は息長大神宮ともいい、息長帯姫(おきながたらしひめ、神功皇后)と妹の虚空津姫(そらつひめ)を祀る。虚空津姫の名は、日本の元の国号であった虚空見津(そらみつ)山跡國(やまとのくに)に因むものと思われるが、この神を祀る社はたいへん珍しい。おそらく豊國出身の神功皇后はしばしば豊姫の名で祀られ、この妹御も豊姫であるから、入れ換わっている場合があるかも。そもそもこの時代、個人名というものが存在し通用したか甚だ怪しい。 西殿は住吉社で、此方は語るまでもなく、それにしても九州東岸には異様に多い。この神は八幡神こと応神帝のために、神功皇后が南九州から招いたものではないか。
位置からして当社は、中津市の闇無浜神社と対向していたようにも見える。鳥居前には猿田彦大神、その配置も似ている。 なお、駐車場は...
Read more大富神社から八幡古表神社へ こちらはかつて神様同士が相撲を取ったとされる神社のようです なるほど!だから土俵があるんですね 門の近くの桜の木は8分咲くらいだったので素敵でした 静かな境内は思ったよりも広かったです 御本殿にお参りさせて頂き、御朱印を頂こうと思ったのですが、誰一人いない… 呼び鈴なんかも見当たらなかったので諦めようとしましたが、脇に置いてあったクリアケースの中に書き置きの御朱印がありました 決められたお金をちゃんと納め、1枚だけ頂きましたありがとうございます お守りとかもありましたが、あれはどうやって手に入れるんだろう...
Read more宇佐八幡宮のように広大な敷地を持つ神社ではありませんが、神職の方が常駐し、いつも清められていて参拝するのが気持ちの良い神社です。主な御祭神は神功皇后と神功皇后の妹神で、神功皇后の御神像は国指定の重要文化財です。 4年に1度行われる細男舞•神相撲(くわしおのまい•かみずもう)も国指定の重要文化財として知られています。(次回は平成32年8月予定です。その頃は元号は平成ではないですが^^;) 神社の歴史は西暦545年まで遡るそうですが、この神社の近くには皇后石と呼ばれる弥生時代の祭祀場跡の遺跡があるので、遥かな昔から信仰の土地...
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