Very tranquil place, lost in the middle of the Japanese countryside. The shrine itself is of a medium size, quite simple and humble, all wooden without decoration. What makes this place magic is the green sanctuary surrounding the area. A tunnel of plants, moss on the ground, remarkable trees, well spaced in an open setting, cut from the outside world by a bamboo grove. After a few minutes there, the redolent scent of the forest becomes your main...
Read more東条湖湖畔から1km程度山に入った所に鎮座する静かなお社です。式内社の小社、伯耆国一ノ宮で旧社格は国幣小社、現在は神社本庁の別表神社に列せられています。主祭神は建葉槌命、下照姫命です。事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命、味耜高彦根命を合祀しています。創建は明らかではありませんが、社伝によれば大国主命の娘、下照姫命が出雲から海路御着船従者と共に現社地に住居を定め、当地で一生を終えられるまで、安産の指導、農業開発、医療の普及に尽力されたと伝わります。創建当時当地方の主産業が倭文(しずおり)の着物であったので倭文部の租神、建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の5柱の神は大国主命の御子神か関係の深い神々となっています。当神社に対する安産信仰は古くからのもので、数々の霊験が伝えられていますが、倭文の織物は姿を消したので、安産の信仰だけが残った様です。倭文の織物がいつ頃姿を消したのかは解りませんが、大正時代迄は下照姫命が主祭神と考えられていたとの事。天稚彦命は高天原から国譲りの使命を帯びていたにも関わらず、大国主命の娘、下照姫命と結婚し、あわよくば葦原中国を得ようという邪心を持っていたと伝記では伝えられています。つまり天津神(天照大神)に逆らった訳ですから、祀る神社は少なく「命」を付けずに呼び捨てにされる事も少なくありません。上記経緯により主祭神は下照姫命と考える方が正しいのかも知れません。天稚彦命は失礼ですがこれと言った御神徳も無いんですよねぇ。閑話休題。御神階は承和4年(837年)に従五位下、斉衡3年(856年)に従五位上、天慶3年(940年)には従三位から正三位に進んでいます。また勅額と称する古額が現存し、正一位白州一ノ宮大明神と刻まれています。最盛期には多数の神宮寺も建立されましたが、戦国時代に神社のみを残して各寺院は四散したとの事。往古の社殿は広大で千石の朱印地を有したと伝えられますが、戦国時代に荒廃。天文23年(1554年)、尼子晴久が社殿を造営し神領79石寄進。後に神領は廃絶しましたが、元亀元年(1570年)、羽衣石城主、南条宗勝がこれを復旧させました。徳川時代は池田藩主の祈願所となりました。参拝した日は小雨が降っておりとても静かな山陰らしい天気でした。参道は緩やかな上りになっています。古びた神門には見事な彫物があり、このお社の由緒深さを語る様です。さして上る事もなく社殿に着きました。参道では氏子の方々でしょうか、数人の女性達が掃き清められていて、みなさん「おはようございます」と挨拶をして頂けました。参拝者は私達の他にはいません。山中に佇む社殿は時が止まった様。ただ雨の音しか聞こえません。拝殿は入母屋平入り向拝は付きません。本殿は流造の様でした。御朱印は¥300-で頂けます。駐車場はHPでは20台と記されていますが、実際は神門の下に3台分しかありませんでした。 ...
Read more倭文神社(しとりじんじゃ/しずりじんじゃ)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内にある神社です。伯耆国(ほうきのくに)一宮。境内にある経塚は国の史跡に指定され、出土品は国宝に指定されています。JR山陰本線の松崎から歩けるのですが、少々大変です。東郷池を左に見ながらあやめ池公園までは割と平らな道のりですが、あやめ池公園から山登りになります。道は舗装されていますが、なかなかの勾配を登ります。東郷羽合線をえっちらおっちら登りまして、倭文神社入口の細い道に入ります。細道から直ぐではなくここからもうひと踏ん張りです。景色も変わり、森の山道を往きます。早稲田神社が見えてきますので、更にもうひと踏ん張りです。景色も随分山の中に入ってきた、高いところに居ることが分かる景色になります。しばし進みますと安産岩と夫婦岩がありますので宜しければご参拝ください。ここまで来ますと倭文神社の鳥居が参道の先に見えてきます。まさに山の森の中の神秘的な神社です。道のりは大変ですが、ここで報われた思いがします。さらに、この倭文神社の御祭神は天羽槌雄神(あまのはづちおのかみ)という他の地域ではあまりお会いできない神様です。天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされている天岩戸伝説に関わりがある神様です。文布は倭文布とも倭文とも書くそうで、「シドリ」また「シヅリ」という織物のことだそうです。同じ織物の神では栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)、天棚機姫神(あめたなばたひめ)が挙げられるますが、天羽槌雄神(あめのはづちおのかみ)は機織りの祖神とされているそうです。また、倭文(しどり)氏の遠祖でもあるとされています。信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られていらっしゃいます。なお、機織に携わった氏族である倭文氏が祖神の建葉槌命を祀ったのが起源とされている神社ですが社伝には下照姫命(下光比売命(したてるひめのみこと/したでるひめのみこと))に関するものが多く、大正時代までは下照姫命が主祭神であると...
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