曹洞宗のお寺。小田原北条氏の重心大道寺政繁の菩提寺。とてもゆっくりとした時間が経つように感じられるのです。建物も十分なスペースをもって配置されていて、悠久な時間の経緯が感じられるのです。それは、祀っている人の力なのか、住職、世話人、檀家、お寺に従事している人の力なのかはわかりません。どこかの山岳寺院(こんな言葉あるのでしょうか)の落ち着いた雰囲気を醸し出しているように思えるのです。あくまでも私の独断ですのでお赦しを。 お寺に関しては皆さんが十分お話されているので、私にそれ以上の説明はできません。 ただ、駐車場の傍らに、小板橋(正しくは旧字体のはし)又治氏の顕彰碑があり、あまりの立派さに眼を見張ってしまいました。題字は当時の国務大臣防衛庁長官 中曽根康弘氏です。小板橋氏は、松井田町新堀出身で、実業界に実績を残し、群馬県政、松井田町政に足跡を残された方です。県立松井田高校設立に関して大きな貢献をされたとか。 26歳にして碓氷製錬株式会社(後の碓氷製紙)創立。松井田絹糸紡織株式会社取締役、碓氷印刷株式会社取締役等経て、松井田町議会議員、松井田町助役、松井田町町長、上毛無尽株式会社専務取締役等経て、昭和11年群馬県会議員、在職12年に及ぶ。 後、大生相互銀行取締役、群馬農業会理事、 日本蚕糸製造株式会社参与取締役社長、高崎製紙株式会社監査役、日本製紙協会理事、関東いすゞ株式会社取締役、群馬シルク株式会社取締役会長等歴任。松井田高校設立に対して紺綬褒章、地方自治功労、蚕糸業功労により藍綬褒章、自治功労により勲五等に叙せられ瑞宝章授与。昭和51年2月4日...
Read more補陀寺は、室町時代初期の応永年間(1394~1428年)に無極慧徹(むきょくけいてつ)禅師を開山として創建されたとされる曹洞宗の寺院です。当初は小さな草庵程でしたが、その庵が兵火により焼失した事を切っ掛けとして無極慧徹禅師の弟子であった月江正文(げっこうしょうぶん)和尚が再興し、大泉山補陀寺と号し第二世住職として境内地が整備されることとなりました。当地の歴代の領主である安中氏、武田氏から庇護され、戦国時代後期の天正10(1582)年からは小田原北条氏の重臣である大道寺駿河守政繁(だいどうじするがのかみまさしげ)が領主になると補陀寺を自らの居館とするとともに菩提寺としました。県道33号から入った...
Read more戦国時代末期、豊臣秀吉が小田原北条氏を攻撃する際、東海道から攻め上り小田原城を攻撃する秀吉の直率部隊の別働隊として、北方より前田利家や真田昌幸が大軍を率いて攻め込んできてた際にこの方面の防御責任者であったた大道寺政繁がここ補陀寺に居宅を置き、碓氷峠や松井田城に籠り防戦しました。最後は秀吉により切腹させられて、川越の常楽...
Read more