劔神社(つるぎじんじゃ)。福井県丹生郡越前町。
式内社(小)、越前国二宮。旧社格は国幣小社。 別名を「織田明神(おたみょうじん)」とも。
主祭神:素盞嗚尊。 配祀神:気比大神、忍熊王。 【関係氏族】忌部(齋部)氏。
資料によると、 『社伝によれば、御神体となっている剣は垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣で、神功皇后摂政の時代に仲哀天皇皇子の忍熊王が譲り受け、忍熊王が高志国(越国)の賊徒討伐にあたり無事平定した。のち、伊部郷座ヶ岳に祀られていた素盞嗚尊の神霊を伊部臣が現在地に勧請し、この神剣を御霊代とし祀ったことに始まると伝えられる。忍熊王はその後もこの地を開拓したことから、開拓の祖神として父である仲哀天皇(気比大神)とともに配祀されたと伝える。
古くは社蔵の梵鐘(国宝)に「劔御子寺鐘...
Read more現在、石川県在住ですが、他県での就職活動をするため、福井県を訪れました。駐車場ですが、神社の向かいにある歴史会館に駐車できます。
織田信長は劔神社の神官の子孫と知ったので、いつか参拝できれば、と思っていました。
圧倒されるような語るに尽くせないほど、どこかに信長様がいるのでは、と思うほどの格調高さが漂う場所でした。
由緒正しい家に生まれた本当の本当に偉い人にお会いしたような気持ちがしました。
石川県にある信長様にお仕えした前田利家の墓所にもお参りしていたという事もありますので、利家様が信長様に引き合わせして下さったのかもしれません。
参拝して、ふと思い至る事がありました。信長様は、もしかすると、うつけ者という噂を流して、味方すらも油断をさせ、噂の必要がなくなれば、噂を収拾したのではと思いました。
そういう事を容易くできる人は滅多にいません。世の中一般の人があらぬ噂を立てられれば、その者がその場でその噂に追い詰められてしまうはずです。
誰がどう間違えたとしても、信長様をうつけ者という者はいないのだろうと思いました。
現代でも類を見ないほど革新的でありながら、常に冷静さを失わず、窮地に置かれても的確な判断ができる人物だったのだろうと思います。何も言わずとも仕える者が迷わず従いたくなる人物だったと思います。豊臣秀吉が懐で履物を温めたという逸話も納得できるほどの人物だと思います。
そのような優れた人物なら、もしかすると、本能寺を生き延びたかもしれません。たぶん、そうだと思います。
そして、もしそうなら、信長様の家臣である豊臣秀吉のそして徳川家康の天下統一の背後には信長様がいらっしゃったのかもしれません。噂を思うまま自在に操る人物なら難しくないはずで、そういう人物に助言を願えるなら、天下人と言えど、大変な心強さであったと思います。
お二人とも心から信長様に対して最大の尊敬をして、お慕いしていたと思います。
そう思い巡らされるほど信長様の雰囲気の漂う神社だったので、いつものように神社に来たつもりで、場の空気に圧倒されてしまいました。福井県に住んでいたら、足繁く毎日のように参拝したいと思うほど、世界が新しくなったような気持ちがしました。
越前町を訪れましたら...
Read more越前国丹生郡織田荘(現在の福井県越前町織田)、戦国時代の織田氏の発祥地。丹生(にう)郡の歴史は古く、古代より丹(に)や陶器(戦後に「越前焼」と命名)の産地として栄えた。信長の数代前まではここの神職または地方豪族だったとされている。信長にもその意識が強かったらしく、柴田勝家が越前を統治した時には「当社の儀は殿様(信長)御氏神の儀に候へば」という文書を発給している(剣神社所蔵文書)。織田家は信長の時に平姓に変えているが、史実としては代々神職である忌部氏、または地方に下った藤原氏の庶流ともされている。創建は3世紀前半まで遡るというが、あくまで社伝なのでだいぶ盛っている。6世紀には何らかの祭祀施設が存在したかもしれない。奈良時代には存在が確認され、「劔御子寺鐘...
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