2024.04.20 ・道道深川雨竜線から少し入ったところにある神社です。旧社格が村社で、地域で大切にされてきた小さな神社です。 ・入口の囲いに使用されている石碑、刻まれている名前はすべて女性の名前でした。地域の婦人部の方たちが奉納したのでしょうか。それともなにか違う事情があったのでしょうか。ちょっとした謎です。 ・参道右手に手水舎があります。くみ上げポンプ式の水は現在使われていません。くみ上げとはすごいですね。 ・手水鉢も歴史を感じさせられ、芽生青年会が明治38年奉納と記されています。 ・社殿はかなり歴史を感じます。木の枯れた色合いや光や水分を吸収した歴史を感じる社殿です。市の有形文化財になっているのも納得です。これからも大切に管理してほしいですね。 ・鈴と一緒に金属製のハートが付いています。恋愛に関する御利益があるんでしょうか?ちょっと謎ですが、これくらいのユーモアや遊び心も必要かと・・ ・社殿の扉は鍵がかかっていましたので、御賽銭を入れる口から覗いてみました。きれいに整頓されています。北海道らしく、真ん中にストーブ。これ必須なんですよね。 ・芽生神社は深川神社の兼務社ということで、深川神社にて御朱印をいただきました。「鎮座・芽生神社」という御朱印です。芽生(メム)、芽生え、芽が出るという、農業地区の願いが込められらいいネーミングの地区名だと、御朱印を...
Read more旭川からの帰りに訪問。
御際神は 家都御子大神(けつみこのおおかみ) 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)
【由緒】 明治27年5月15日、十津川郷土浦典相が熊野本宮の御分霊を奉持移住して来たので、移民は協議の上、しばらく浦典相地内に仮社殿を設け、祭祀を行い、更に明治30年7月30日、中井哲太郎が出雲大社より御分霊を奉持合祀した。
移民も次第に増加し、社殿建立の声が高まり、明治32年11月18日、有志によりメム6号線本通に社地5・851㎡を定め、翌年2月15日建設に着手、明治33年10月2日に12・85㎡平方米の現在の本殿が落成、先の2神に、玉地光造が明治30年10月1日金刀比羅本宮より御分霊を拝受して仮祀してあったものを合議の上、同時に合祀し、浦典相を社掌として祭祀を行い、芽生神社と奉称した。 境内には大和十津川百戸団体開拓記念碑あり、又菊亭修季侯爵の開拓記念碑あり。
同碑の篆額は西園寺公望の自筆にて碑文は、東宮侍講文学博士三島毅撰、書は正五位日下部東作(鳴鶴)で文化的...
Read more芽生神社(めむじんじゃ)は北海道深川市深川町字メム6号線本通り67番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は家都御子大神(けつみこのおおかみ) 、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 、金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)...
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