地元の方々により、よく整備された神社。歴史は古くはないものの(1世紀半をどう捉えるかですが)、当地の来歴を思うと、神社創立時からの物語を勝手に想像してしまいます。
明治初期、時の政府は、それまで幕府の牧場(牧)であった北総の地を、禄を失った士族や、恒産を持たない庶民に開墾させ、失業対策と農業生産力向上策にあてようとし、入植地は時系列順に「初富」「二和」「三咲」……と名付けられました。 牧場とはいいながら、要は荒れ地に野馬を放し飼いにしていたようなもので、大地は農耕に不慣れな人々の打ち込む開墾の鍬や鋤を跳ね返すほどに、硬く締まったものでした。多くの人々が、数年も経たずして開墾を諦め、この地を去ったといいます。
そういう歴史を考えると、三番目の開拓地である「三咲」を造った人たちが、まずは神社を造り、大地に立ち向かっていった当時の苦労が偲ばれます。 と同時に、一帯がもはや牧だとか農地だったとかを想像するのも難しいほど、都市化されてしまったこ...
Read more新京成線三咲駅から徒歩約20分、境内に三咲神社の由来が書かれた掲示板が設置され、次のように説明されています。 「三咲稲荷神社 正式名は稲荷神社であるが地名を付けて三咲稲荷神社と称されている 御祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト) 御鎮座 明治三年二月 例大祭 四月十五日・十月十五日 由来 明治二年十一月・十二月の三咲開墾入植まもなく五穀豊穣と村落繁栄の守護神として創建された。御祭神はこの時のある大名の下屋敷より由緒ある稲荷明神を遷座したと伝えられ鎮座から百五十年を迎える今日、三咲の氏神様として地域住民から親しまれている。」 境内には他に、新四国八十八ヶ所吉橋大師講札所第四十四番、三咲百年記念碑、百五十年記念碑や力自慢...
Read more境内は綺麗清掃されていました。境内にある三咲百年記念碑を拝見し、この地の開墾の大変さを感じました。またこの神社地元の方々にとって大切な神社...
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