岡崎の地は、平塚であったり伊勢原であったりと大分入り組んでいるようで面倒な地域と思った。
新編相模風土記稿が通常でない程長く説明文があるほどに、江戸の頃には興味のそそる神社の一つであったと思われる。 弘法大師が勧請に係り、この地域での活躍した武将等々の名が見えたり、なかなかに派手な歴史を持っているようである。 大同年間、西暦800年頃にはこの地域も発展していたと思われ、相当古くから人が住んでいたと思われる。
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❶【参考 神奈川県神社誌 1981年】
岡崎神社 (1981年の岡崎神社の紹介文となる)
創立年月は不詳であるが、大同(だいどう)年間(806年~810年)の創祀という 言い伝えが残っている。 治承の時(1177年~1181年)は岡崎義実(よしざね)が当社を崇敬したという。 明応3年(1494年)には、三浦道寸(どうすん)社殿の造営をした 寛永15年(1638年)大きな釣り鐘を鋳造した
[名称の変化] 明治維新(1868年)を経て、山王社 を 岡崎日吉神社 と改めた。 明治41年(1908年)雑社を合祀して、岡崎日吉神社から 岡崎神社 と改称した。
[鎮座地] 平塚市岡崎字山王久保3650 [祭神] 大山咋神(おおやまくいのかみ・丘陵の守護神)猿田彦命(さるたひこのみこと・道開きの神)素戔嗚命(すさのおのみこと・防疫の神)応神天皇 大物主命 菅原道真
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このあたり7村の総鎮守であったようで、この地を代表する神社であったようだ。弘法大師にはじまり、恵心、そしてすぐそこにある岡崎城の城主、岡崎義實(よしざね)や、三浦道寸の名前まで見える。
❷【参考 新編相模風土記稿 1830年】
山王社 (江戸時代のこの神社の紹介文となる)
岡崎郷7村の総領守である。
[神体] 鏡7面を神体とする。 鏡面に神仏の像がある。あわせて21体ある。 7面の一つには、享禄4年(1531年)と彫ってある。其の他は後世のものである。
[本地仏] 本地仏といわれる木像1体を安置している。この仏像、その形が仏像に見えない。昔のこの神社の神体であったのだろうか。古色なればその図絵、末に出しておく(図絵は省略します)
[沿革] 当社は弘法大師が入唐の時、白衣の道人より鏡7面を得た。弘法大師が帰朝の後、大同年中(806年~810年)その鏡を神体として勧請したという。
その後、恵心(えしん)が社の傍らに一宇を建立して天台の法窟(ほうくつ)とした。今の別当寺がこれである。
治承の頃(1177年~1181年)岡崎義實(よしざね)が当社を尊信して、しばしば霊験を得たという。
明応3年(1494年)三浦義同入道寸が造営をする。これは縁起にかいてある。とある。 ただし、この縁起は道寸の要請によって明徳3年5月に書かれたと云われるが、其の頃に書かれたものとは思えない。それゆえにその文は省いた、とある。
[例祭日およびそのた] 四月中の申(さる)日、および7月28日、9月9日神事がある。
△神楽殿 △鐘楼 寛永15年の鐘をかけている。銘文がかすれてはっきりせず、なおかつ、考証に益がないので省略する、とある。 △ 末社 日吉山王 稲荷 天神 △ 別当 寶行...
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