廣八幡神社は、もと八幡宮と称し、広荘の産土神社として有名である。 本殿には、誉田別命・気長足姫命・足仲津彦を祀り、若宮社には大鷦鷯命を、高良社には武内宿弥、天神社には菅原道真公を祀っている。 『紀伊続風土記』には欽明天皇の頃の創建にかかると伝えられ、天正13(1585)年豊臣氏の兵火にかかり、神庫や防舎などが焼失し、一時衰退したが、慶長5(1600)年浅野幸長が藩主になると神領10石を寄附され、元和5(1619)年には紀州徳川家が入封してより歴代藩主もこれを襲用するとともに厚い保護を加え、次第に興隆した。 明治の神仏分離までは両部の神で現在の社殿の外に末社・多宝塔(現在広島市三滝寺にあって県の文化財指定)・鐘楼(同町上中野にある法蔵寺にあり国の重要文化財)・西門(同町広 安楽寺にあり)・神楽所・観音堂などが建ち並んでいたが、漸次取り払われた。 古典芸能(秋祭に奉納) 田楽舞 しっぱら踊りともいわれ、袖振2名・ささらを持つ中踊り6名・太鼓たたき2名(以上は小学生)と鬼1名・鰐1名・獅子2名の計14名で奉納される。 この田楽は、五穀豊穣の舞として苗代作りから稲刈りまでの農作業を表し、室町時代から始まり広川町上中野の人達によって継承されている。 乙田舞獅子 もと乙田天神社に奉納されていたが、今は合祀により廣八幡神社の境内社の天神社前で奉納されている。 この獅子舞は東海道五十三次を表わしているとされており、打込舞・中舞・高舞からなっている。 特に高舞でクライマックスに入り、獅子...
Read more観光名所としての知名度はいまひとつどころではありませんが、本殿、楼門のほか六棟が国重文に指定されています。近年の修復により復元されたあざやかな朱塗りが見事です。 楼門を除きこじんまりとした建物ばかりですが、ずらりと並ぶ様は壮観です。境内はよく手入れされていて、社務所では地元とおぼしき方々が歓談されていました。人混みは願い下げですが、ほどよく人の集う神社にはやはり活気があります。 道成寺からの帰り、さほど期待もせずに訪れたのですが、望外の見ごたえでした。知られざる名所を知らしめたくもあり、評価は★四つです。二度三度と足を運びたいかと問われれば答えに詰まりますが、一度は訪れて損のない名所です。 きのくに線沿線には国宝、国重文が点在しているので、あわせて参拝すれば満...
Read more広川町の産土神「廣八幡宮」は室町時代に創建されたと伝わる古社で、江戸時代には紀州和歌山藩主徳川家の手厚い保護を受けていたとの事です。 なので朱塗りの本殿をはじめとして拝殿や楼門、境内摂社等々が室町時代の建築で国の重要文化財に指定されています。その他にも文化財の宝庫となっています。 広川町では江戸の安政年間に起こった大津波の際に、濱口梧稜がとっさの判断で稲むらに火を放ち、村人を避難させて命を救いました。その避難先が高台に位置しているここ廣八幡宮だったとの事です。 広川の防災遺産として日本遺産にも認定されており、廣八幡宮では「稲むらの火祭り」や「津浪祭り」等の防災に関連す...
Read more