第13番札所 大栗山 花蔵院 大日寺 (おおぐりざん けぞういん...
Read more二車線の道沿いにありますがカーブが続く山道ですので車の運転は気をつけてください。 駐車場が少し離れた場所にありますが階段もないので疲れません。
【大日寺の歴史・由来】 徳島市には5ヶ所の霊場がある。そのいちばん西部で鮎喰川を渡った平地にあり、車の往来が激しい県道の反対側が、かつて阿波の総鎮守であった一の宮神社となっている。開基は弘法大師とされ、縁起によると「大師が森」というこの地で護摩修法をされていたさいに、空中から大日如来が紫雲とともに舞いおり、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げられた。大師は、さっそく大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し安置したと伝えられている。寺名の由来もこの縁起による。境内は老樹に覆われ、密教寺院の雰囲気を漂わせているが、戦国時代には「天正の兵火」により堂塔はすべてが罹災している。その後、江戸時代の前期に阿波3代目藩主、蜂須賀光隆公により本堂が再建され、諸国に国の総鎮守・一の宮が建立されたときには、その別当寺として同じ境内にあり、管理に当たっていた。
水子地蔵 ただ、一の宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされており、同じ境内であったため、江戸時代には一の宮神社が札所であり、納経所として参拝されていたようである。このことは真念著『四國邊路道指南』(貞享四年・1687)にも記されている。その後、明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺は大日寺ともとの寺名に変えたが、もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。 日本人の心には仏と神が融和している。遍路は大師の御心を慕い歩みつづ...
Read more13番大日寺、空海の念じます最高仏が大日如来ですので、大日如来を祭るのは当然でありまして、この地に何故に最高仏の大日如来を祭り大日寺としたか?
しかし現在では十一面観音菩薩をご本尊にしておりまして理解困難と思いますので分析を兼ねて説明を加えて見ます、明治に神仏分離がありました、前の一の宮神社の中にありましたから、分離されて、真ん中に道路が作られました、ゆえに、前の神社と引き離されております。
一の宮神社の御祭神は大宜津比売神(豊玉比売神)ですので、本来は700年代に来た行基僧侶と聖武天皇は、この寺のご本尊を十一面観音菩薩としたのです、それは当時には豊玉比売神は十一面観音菩薩、あるあは八大竜王神と呼ばれました、仏教にされた名前は十一面観音菩薩です。
ゆえに、800年代に来ました空海はご本尊を変えましたが、元の名前に変わりまして十一面観音菩薩となりました、それほど、この場所は神仏共に大切な場所でして、神の位付けは大一級神の大宜津比売神は素戔嗚神が大切にされた神なのです、伊勢の外宮の豊受神でもあります。
ここから北には気延山が見えます、気延山の素戔嗚神の前方後円墳を意識しまして、聖武天皇、行基僧侶は700年代にここに寺を作りました、のち800年代に空海がきたということです。この一の宮神社の内部には素戔嗚神が祀られているはずです、素戔嗚神と大宜津比売神は本来はセットで祀られるのが普通なのです、古事記の言う素戔嗚神に殺されたとは全くのデタラメなのです...
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