🏔️ 長谷山 ― 山に着目した歴史と信仰の変遷
古代〜平安期 • 地形そのものが里を見下ろす「結界の山」として意識された。 • 山神・太陽・水 への自然信仰が基層にあったと考えられる。 • 平安末には 経塚 が築かれ、山そのものが仏法を未来へ託す聖地とされた。
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鎌倉〜南北朝期 • 山中での修験や観音信仰が広まる。 • 登山口には 長谷寺(観音堂) が整い、観音菩薩が祀られる。 • 山=観音・経塚信仰の舞台として、信仰登拝の対象に。
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室町期 • 長谷山城が築かれ、軍事拠点化。 • ただし信仰は失われず、麓に 永泉寺 が開かれる(1448年)。 • 大日堂も祀られ、山は「太陽仏」と「観音」の二重の光に包まれる。
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戦国期 • 秋月氏の勢力圏に組み込まれる。 • 永泉寺は秋月氏の菩提寺開基に関わる僧を輩出し、山の宗教的権威を保持。 • 山は「城+祈り」の二重性を帯びる。
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江戸期 • 新千手四国霊場 第一番札所となり、再び巡礼の舞台に。 • 山への登拝は、経塚・観音・大日を巡る「歩く祈り」として地域に根付く。
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近代以降 • 山城の遺構・寺院の伝承が残り、信仰は薄れても「聖地の記憶」として語り継がれる。
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✨ まとめ
長谷山は、 • 古代=自然信仰の山 • 中世=観音と経塚の山 • 室町〜戦国=城と寺の山 • 江戸=巡礼の山 …と役割を変えながら、常に 地域の精神的・歴史的な核 であり続けた。
本来登る笹原コースだった所は全面通行止めになっててよくわからず、逆の笹原団地側から行けばよかったのかな?
結局、長谷寺の方から登りました。
下に駐車場らしき空き地が、ここに停めていいのかな💦
今回は4歳の下の子供と登りました。
後1キロの看板があって、登りきれるか心配でしたが、思ったよりすぐに頂上まで行けました。
かなり急勾配でしたが、子供も自分の歩みで登りきれました。
頂上は景観もよく、一応仮設トイレも 綺麗に掃除されてました。
ブランコや、ターザンロープなどもあり子供も喜んでました。
下りはロープが役に立って無事に下山できました。
登りが30分 下りが10分くらい
全体的によく管理された山でした。
長谷山を愛する会の方々の山を愛する気持ちがすごく感じられました✨...
Read more長谷寺のすぐ脇の車道に登山口と駐車場があります。(長谷寺ルート) 秋月二十四城に数えられる長谷山城跡を見たくて登りました。 途中、百メートル程の段差のないスロープがあるので、雨...
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