≪桐生観光🏞️≫で調べていたら、この《 鳳 仙 寺 》が出てきました。
初めての来寺です。
調べて気になる【 疣 地 蔵 】とは、心の病気を治癒したいと願いを叶えて貰える、と書かれているので、過度な責務に苦しんで痛みを越えて壊れた娘の心のケア⛲に少しは役立てば良いかも、と思い、先ずは拝礼も併せて御参りに向かいます‼️。
〈桐 生〉の町外れに建てられています。 末寺17ケ寺を持った〈桐生市〉における曹洞宗の中心寺院の本堂!。
パーキング🅿️に車を停めて、先ずは、豪創に、参道に立ちハダカル<山 門>は格調の高い禅宗様式の建造物で、雄大にて豪華、また、大きさにおいても、〈桐 生〉市域では類を見ない規模の様子ですが、建造物としては、築300年、隣建の<梵 鐘>は380年との事で、残念ながら、勿体無くも、やはり補修が余りされてない様子です。
<山 門>の中に配された左手には、〔インド神話〕に登場する雷神インドラ( 帝 釈 天 )の配下で、後に仏教🙏に守護神として仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る《四天王😇》の1人として<南の方角>を護る[増長天👹]がいます。
右手には、やはり《四天王😇》の一体、<東方を護る>守護神として[持国天👹]が祀られています。
『 由良成繁は、天正元年(1573年)に、桐生氏を滅ぼし、天正2年(1574年)に、桐生に《 鳳 仙 寺 》を建立した。 天正二年(1574年)桐生城主由良成繁公は、自らの菩提所として「桐生山鳳仙寺」が開山した。』
との由ナノで、創建年代としては余り古寺では無さそうです🌿。
[参 道]から立ち上がる立派な<山 門>の柱が、善く見ると少し傾いていて、此れでは由良家の創建した意思が継続的に維持できなく成るのかな?勿体無いナァと、感じました。
<山 門>には、〔鉄眼道光禅師〕によって「鉄眼版一切経(大蔵経)」が収蔵してあり、輪蔵内部に八面の経架、<鉄眼版一切経>6956巻が収蔵されています。
400字詰めの【原稿用紙】は、此の鉄眼和尚の考案と言われているらしく、類い稀な知見と不可能を可能にする知恵を駆使して≪大蔵経≫を世に出すに当たり、【原稿用紙】と言う一つのツールを見出だしたのでは無いでしょうか?
《 鳳 仙 寺...
Read moreこちらには戦国時代、上州に大きな勢力を張った由良成繁の墓所があります。 もとの名は横瀬成繁といい、金山城の岩松氏に家老として仕えていましたが、戦国の風雲に乗じて主君を城から追い、みずから城主となりました。 先祖は、もともと新田四天王のひとり、由良具滋であったので、名を由良成繁と改め、戦国大名として独立しました。 それからは、武田上杉北条の大勢力と巧みに距離を持ちながら領地を拡大。最盛期には、東は館林足利、西は伊勢崎、北は桐生までを手中に収めました。 成繁よりも知られているのは、その妻だった輝子です。 夫が金山城を息子の国繁に譲り、桐生城に移って没すると、輝子は出家して妙印尼と名乗りました。 その後、北条氏が小田原城に国繁を捕らえたまま、金山城の明け渡しを求めて来襲すると、71歳の高齢でありながら、息子に代わって籠城の指揮を取り、ついに城を守り抜きました。 77歳のとき、豊臣秀吉が小田原城を攻めると、孫の貞繁を押し立てて、みずからも秀吉方として参戦。 小田原落城後は、その働きを賞されて、新たに常陸国牛久に領地を貰い、由良家の名を残しました。 まさに上州カカア天下のお手本?のような女性と言え...
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