村社 月瀬八幡宮 遠賀郡中間町大字上底井野字廣兼
祭 神 品陀和気命、比咩大神、息長足媛命
由 緒 社伝に曰く、寛永十五年二月国主黒田忠之の命あり豊前国宇佐神宮より鎮祭、明治五年十一月三日村社に定めらる。 社説に曰く、寛永十五年八月筑前藩主黒田忠之底井野に別館を造営するに当たり、先づ守護神を斎き奉らむとして浅木神社大宮司佐野正安に命じ猫城跡(現在の社地)に社伝を造営し宇佐八幡宮を勧請鎮祭す、御社号を最初は猫城八幡宮と称す。正保四年藩主は神鏡一面を寄進し、続いて藩主黒田光之宝永元年十月本殿を改築し同二年六月拝殿を造営す。 宝暦二年藩主は御供料として米七俵永代寄進の制を定む。代々藩主の崇仰篤く郡内大庄屋より石玉垣、石灯籠、絵馬など寄進あり。文政三年より郡役所直接米一俵掃除夫一名を永代遣はす事となれり。
例祭日 十月二十五日
神饌幣帛料供進指定 明治四十年八月二十六日
主なる建造物 神殿、拝殿、幣殿、神庫、鳥居、石灯籠
主なる宝物 黒田藩主より献納の絵馬、神鏡等
境内坪数 七百二十坪
氏子区域及戸数 上底井野区一円約百五十戸
境内神社 須賀神社 多賀神社 紫神社 徳満神社 貴船神社 貴船神社 稲荷神社 田守神社
福岡県神社誌 上巻
猫城趾(Site of Neko...
Read more歴史的に興味の在る神社。 鞍手町と中間市の境に位置する 😺 猫城 🏯
■猫城をめぐる戦い (宗像と岡垣の境369メートルの城山) 【現在 月瀬八幡宮】
に本拠を置いていた宗像氏が勢力を強め、遠賀川より西の方を支配下に治めるようになりました。
天正6年(1578年)には、家臣の吉田倫行に雑兵150名を付けて守らせていました。 天正8年(1580年)、糟屋郡にあります立花城の戸次道雪の計略
【その計略とは】
『直方より毛利が攻めれば、きっと宗像より応援が来るはずだから、その隙に守りが手薄になった宗像を攻め落とそうとの打ち合わせ』が出来ていたのに、 伝達ミスがありきちんと伝わらず、その日、立花城の戸次道雪は全然動かなかった、とのことであります。 作戦失敗と言う所でしょうか。❓
高取城(直方市の福知山の下の方の山)の城主毛利鎮実の大軍1000名が押し寄せ、乗っ取らんものと猫城に迫りました。
城を守る吉田倫行は、かねがね 宗像氏貞より【旗下の城に、もしの事があったら、合図に(のろし)を上げて本拠の城山(蔦ヶ岳)に急を告げよ】との事であったので、すぐに合図の(のろし)を上げ応援を頼みました。
城山より駆けつけた宗像本勢1500名と水位の上がった許斐川 を挟んで両軍激しい戦いでした。
猫城側も援軍と力をあわせ力戦したので、毛利鎮実の軍は、さんざんに打ち破られ引き返したとの事であります。
⬛この猫城は、《行き山》と言い伝えられている。
それは敵が攻め登れば高くなり、城より攻め下りる時は低くなる。 ❝まるで猫のようだと言い伝えが有る❞
猫を真横から見ると、頭があり身体を丸めた様子です。
🅿️有り 階段80段 神社前の道は赤間街道の道筋為 道幅が狭いです。(この街道を進むと長崎街道と合流する直方市の植木町へそして木屋瀬へ)...
Read more旧社格は村社。 御祭神は、応神天皇・神功皇后・宗像三女神・菅原道真公。
寛永15年(1638年)に創建。筑前藩主...
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