棚倉駅を出ると「涌出宮」という名前の重厚な石碑が目に入ります。涌出宮も対岸の祝園神社は木津川を挟んで対になっている相当古い神社で、どちらも2000年前にいたとされる武埴安彦を祭る「いごもり」という神事をを現代まで伝えています。
涌出宮の一の鳥居を過ぎると折れ曲がった参道が続いており、その先を進むと静かな雰囲気の本殿に着きます。参道が折れ曲がっているのは、かつてここが奈良街道と伊賀街道が交わっていた交通の要衝にある神社だからでしょうね。今でも社殿の東側には伊賀街道の小さな石碑が残っています。
また、参道左右にはドングリの林がありますが、良く見ると葉の裏に毛が生えています。この木は「イチイガシ」といって京都では珍しい南方のドングリ。九州南部や近畿の熊野あたりが自生地で、京都では自生しないものです。説明書では766年に伊勢からイチイガシが飛んできて一晩で森が涌き出たので涌出宮というとありますが、元から生えていた木ではないので、伝説のとおり飛んできたと言われてもおかしくないものですね。
なお、建武2年(1335年)8月6日、涌出宮は戦乱により焼失したそうです。この時の戦乱と言うと北条時行が起こした「中先代の乱」関係でしょうか。中先代の乱というのは、北条時行(中先代)が後醍醐天皇に対して挙兵し鎌倉を奪取したものです。この時、京都でも時行の叔父の北条泰家が呼応して挙兵してますから、その時に焼失してしまったのでしょう。
交通の要衝にある神社の定めでしょうか、その前後も何度か焼失しているため、あまり古い施設は残っていませんが、行事はどこ...
Read more和伎座天乃夫岐売神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)通称:涌出宮(わきでのみや)は、天平神護2年(766)、伊勢国度会(わたらい)郡五十鈴川舟ヶ原より、天乃夫岐売神(あめのふきめのかみ)を勧請し創建されました。山城の国祈雨十一社の一社で、雨をもたらす神として崇拝されてきました。式内社です。 本殿は元禄5年(1692)造立されたもので府登録有形文化財に指定されています。拝殿は江戸時代初期に造立されたもので山城町登録有形文化財に指定されています。 神門は瓦葺・平入切妻造の四脚門で朱が施されています。室町時代の建築と考えられ、木津川市指定文化財となっています。 本殿前東側石燈籠は南北朝時代(1337年~1392年)に造立されたものです。灯篭は花崗岩製で京都府登録有形文化財に指定されています。竿が四角型石燈籠は鎌倉時代末期に出現し、南北朝から室町時代に...
Read more朝早く伺った事と、少し前夜雨が降った事もあって、入口の鳥居から少し冷たい森の香りが漂ってきました。 静謐に包まれた鎮守の森の道を進と見事な朱色に塗られた鳥居が出迎えてくれます。 その先に構える門は質素であり現世と俗世をしっかりと分けているかのような感じがします。 門をくぐり抜けて右手に少し回ると本殿があります。非常に質素ですが地域の信仰はあついようで手入れは比較的しっかりとされています。 とても歴史は古く平安時代から建立されていたようです。 名称からも想像がつくかも知れませんが雨乞いが行われていたそうです。 この森を歩くと何か神秘的な物を感じます。古代人もそう感じたのか、弥生時代の集落跡地に、この社殿は建っているそうです。 周囲に個人的な駐車場が有るようですが電車で向かうのがベストです。蟹満寺に駐車して歩く...
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