旧広瀬邸は明治10年に久保田に建設されていた家屋を、 明治20年に現在地に移設しました。 昭和45年に新居浜市に寄贈され広瀬公園となった後、 平成15年5月には、 「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として、 国の重要文化財となりました。 同じ敷地内には宰平の足跡や近代化の歩みを知ることのできる、 広瀬歴史記念館があります。 (余談ですが設計は住友に祖を持つ日建設計です)
現在は3か所から出入りできるようになってますが、 本来の正門から館を訪れてみました。 木々の生い茂る小道を歩き人力車小屋の前を通り、 表門と併設された門番所を抜けると、 金物蔵・米蔵があります。 (現在は一部事務所として使用されています) そのまま進むと母屋があり、 玄関から旧屋敷に入り土間伝いにまっすぐ進めば、 後に増設された大きな調理場があり、 かなり人数分の調理が可能です。 このレイアウトは施主である宰平の性格が、 反映されたものと言われています。 入って左手は玄関から「本座敷」または「古座敷」と言われる 数寄屋造りの意匠を帯びた部屋になっていますが、 ガラス入り建具を使うなどの西洋風の建築を取り入れています。 さらに進むと別子開坑200年祭の接待館として増築された 新座敷があります。 新屋敷の欄間には 「弓」があしらわれており「客人を守る」願いが込められ その奥には湯殿と雪隠があり反対側に茶室があります。 旧屋敷に戻り階段を上り2階の「望遠楼」に進むと 窓から桜並木の庭園と瀬戸内海が見え 天候が良ければ遠く中国地方までの展望が開けます。 また2階の雪隠は日本最古級の洋式便座となっており 屋根には避雷針が設置されるなど 積極的に西洋技術を取り入れています。 一階に戻り反対側に回れば宰平が愛した「居間」があります。 この居間には暖炉と掘り炬燵に天窓があり、 炬燵に入ったままで障子の真ん中のガラスを通して 家中が見渡せる作りになっている宰平らしい作りになっています。 このようにこの屋敷は西洋の文明や技術を 積極的に取り入れようとした宰平の 様々な思いと希望が入り混...
Read more旧広瀬邸は、別子銅山を支えた実業家 広瀬宰平氏の先駆的な近代和風住宅として、平成15年に国の重要文化財に指定されたもの。 建物の構造から、当時の資料があり、新居浜の歴史を知るにはとても良い場所。また整備された日本庭園も素敵です。
The Hirose Mansion was designated as an important cultural asset of the country in 2003 as a pioneering modern Japanese-style house by Mr. Shiorpe Hirose who supported the Besshi copper mine. There are materials of the time from the structure of the building, and it is a very good place to know the history of Niihama. The well-equipped Japanese garden is...
Read more別子銅山、広瀬宰平の記念館。 1828年生まれ。 明治六年七月二十日制定の日本坑法をビデオで見ることができた。 明治維新後、幕府領だった別子銅山は土佐藩に接収された。それを住友家に取り戻したそうな。川田小一郎が賛同したのも大きいようだ。 そして、広瀬宰平が近代化を行った。広瀬は三井の団琢磨のような存在のようだな。 明治23年から蒸気巻揚機設定。その頃、鉄道も設置する。ふむふむ。 え? 彼は大阪商船を設立したのか。たまがった。 え? 大阪商法会議書の副会長!会長が五代友厚の時に! 麻生太吉から忠隈炭坑を買ったのも広瀬だったんだ。びっくり! おもしろかった! とても良い博物館です。別子銅山関係の博物館はどれもいい。 石炭関連の博物館に財閥が絡まないのは、やはり石炭関係...
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