兵主神社(ひょうすじんじゃ)。兵庫県西脇市黒田庄町岡。
式内社(小)、旧県社。 地元では「ひょうすさん」とよばれる。
主祭神:大己貴命(おおなむちのみこと) 配祭神: 八千戈命(やちほこのみこと) 葦原醜男(あしはらのしこお) 大物主命(おおものぬしのみこと) 神清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠命(すがのゆやまぬしみなさるひこやしましのみこと)
「大己貴命」「八千戈命」「葦原醜男」「大物主命」四柱は全てオオクニヌシの別名。 清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠命とは、スサノオとクシナダヒメとの間に生まれた子です。オオクニヌシの祖の一柱ではあるものの、この神が祀られている理由は不明。
資料によると、 兵主神は、漢の高祖が「蚩尤(シユウ)」を祀り、勝利を祈った事に由来するとされ、貝塚茂樹によれば鍛冶屋神(武器製造の神)であるとする見方もある。
社伝では、延暦元年(782年)、大和国から播磨国の国衙に赴任した岡本修理大夫により、森林を開拓して社殿が築かれ、2年後の延暦3年(784年)、大和穴師の兵主神を勧請したとされる。 穴師神社については、『日本の神々2』によれば「左座 八千戈命 亦曰大国主命 神体広矛 兵主伊豆戈神是也」...
Read more普段この界隈を行き来する時は、加古川右岸の国道175号を走るのが一般的ですがそれとほぼ並行して左岸沿いを走る県道294号沿いに鎮座する神社です。車窓を流れる景色を楽しむには、175号より断然こちらの道の方が楽しいです。 創建延暦3年(784年)ということなので、桓武天皇の御代。その4年後に最澄が比叡山に延暦寺を創建、そのまた6年後が平安京遷都、そのまた3年後には坂上田村麻呂が東北の蝦夷平定。日本の国が大きく変化を見せていた時代に創建された神社ということになります。 拝殿は茅葺入母屋造長床式、安土桃山時代の建築様式であり、豊臣秀吉の三木城攻めの際、戦勝祈願に当社を訪れた黒田官兵衛の寄進により改築されたと伝わっているので、おそらくこの時に当時の最新建築様式が取り入れられたのではないかと想像しました。 御祭神は大己貴命、すなわち大国主命であることから出雲の龍神系の神様であるにもかかわらず、境内には天孫族系の牛の銅像が横たわっており、どのような流れでこの形に収まったのか、とても興味が湧きました。 いずれにしても境内は綺麗に保たれており、土地の氏神様として地域の方々に大切にされて...
Read more黒田庄の南部にある大志野の氏神。「ひょうすさん」と呼ばれ、親しまれる。凄いのが拝殿の藁葺きの屋根。非常に見事である。安土桃山時代の建築。葺き替えが現在でも続いており、地元の人に慕われている神社ということがよくわかる。
奈良時代、播磨の国の役所に建築担当として赴任した岡本修理大夫により森林を開拓して社殿が築かれ、2年後に奈良県桜井市穴師の兵主神を分霊したとされる。戦国時代には、羽柴秀吉が中国攻めで三木城の別所長治を攻める際、家臣で軍師である黒田官兵衛が戦勝祈願で灯明田を寄進。灯明田は、灯籠に使う油代に使うために貸し出す田んぼのこと。拝殿はその奉納金によって改築された。
祭神は大己貴(おおなむち)命。大己貴命は出雲の国づくりの神である大国主(おおくにぬし)命の青年期の名前。兵主は中国の武神で日本では...
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