境内に通じる道に架かる冠木門の説明板によると、法善寺は、戦国時代の1512年(永正年間)麻績城主服部左衛門清信が開基となり、賢甫宗俊禅師を迎えて、曹洞宗佛眼山法善寺(遠州奥山村善住寺末寺)として再興されてから、現在にいたっているそうです。 それ以前にあったのは法相宗巌龍山西谷寺という寺院で、それは奈良興福寺の末寺だったらしく、興福寺の前身、山階寺の寺領「信濃二百戸」と記されたのひとつが、この西谷寺を中心とした地域と見られているということです。 その後荒廃し、1492年に西谷寺は廃寺となったそうです。 さて、法善寺本堂の向拝破風に飾られている寺紋は、武田家系の四つ花菱です。つまり、法善寺は武田家と深い関係にあったことを物語っています。 寺には武田信玄の高札や書状が残されているそうです。武田信玄の信濃攻略にさいして、この寺は大きな...
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