時は関ヶ原の戦いが終わり、山形城主『最上義光公』の領地に庄内が復帰し、狩川城主として利長公が就いた。
この時、庄内地方は広大な原野で荒れ放題だったそうです…
この広い原野の光景を見た利長公は、水田にしようと考え10年に及ぶ調査の結果この川に注目した。
月山を源とし、龍神伝承でも有名な『立谷沢川』‼︎
しかし、この流れをせきとめ、堰を掘って水を引いてくるにはかなり苦難する…
諦めない利長公は、義光に提案して他の家臣の反対を押し切り最上家においての大事業として義光は命を下した‼︎
そして、1612年に着工し、約4ヶ月で遂に完成したが工事には約7.000人を動員し、事故による犠牲者は16人が出たと伝わります『悲劇の16人』‼︎
工事の最中には合流する最上川により仕事が困難になった…この時利長公は、『川の神様が工事を喜んでいない、慰めなければ…』と言い、持っていた金や銀、螺鈿で装飾された馬の鞭を渦巻く最上川の淵に投げた所、流れが鎮まり工事が進んだと伝わります。
北楯大堰(延長10㎞) この大堰のおかげにより、新田開発は進み今の立川、余目、藤島と言った地域には集落が多くでき人も増えたとされます‼︎
その数々の功績により、利長公は『水神』と崇められ現在『北舘神社』に水神=北楯利長公として祀られております‼︎
ちなみに、利長公のお墓は...
Read more北舘神社 祀られている神様は、戦国武将であり、最上義光(もがみよしあき)公の家臣の一人、北館大学助利長(きただてだいがくのすけとしなが)です。 1612年に狩川城主の北館大学助利長によって開削された北楯大堰は、現在も庄内平野の水田農業を支えております。 北楯大堰は、世界かんがい施設遺産にも登録されています。
神社境内は、とても自然が多く、神...
Read more世界かんがい施設遺産の『北楯大堰』『北舘神社』をみてきました。 1612年狩川城主の北館大学助利長公が困窮する領民を救うため10年に渡る水田調査を行い『北楯大堰』を開削され、現在もなお、庄内平野の水田農業を支えているそうです。 『北楯大堰』開削された狩川城主の北館大学助利長公が鎮座されている『北舘神社』は、広くて自然が多く素晴ら...
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