20240829訪問。1209追記。こちらは109年前の1915年に発生した「三毛別羆事件」の復元場所になります。小説「羆嵐(くまあらし)」を筆頭に何度もメディア化されたり、SNS上で広く拡散されたりした事などもあって、恐らくカムイエクウチカウシ山での福岡大学WV部羆事件と並んで、日本で最も有名な熊害(ゆうがい)事件の一つになるかと思います。 農作物を荒らした冬眠前の羆を駆除しようとして打ち損じた事に端を発し、手負で凶暴化した羆が12月9日に最初の事件を起こしてから、わずか35時間あまりの間に、妊婦とその胎児を含む7人の殺害と食害に及び、3人に重症を負わせるという凄惨な事件で、その余りの凶悪さと痛ましさから、後に開拓村は放棄され、現在に至るまでこの辺り一帯には人が居住しておりません。開拓民と羆との攻防は当時の軍隊をも巻き込み、12月14日までの5日間に渡って繰り広げられましたが、最期は熟練のマタギ猟師によって射殺され終息しました。本来は観光地と呼べるような場所ではないのですが、事件発生から1世紀近くを経て、当時の開拓民の苦労を偲び、野生動物との関わり方を考える場として復元されています。 事件の大まかな経過は以下の通りです。(一部残虐な表現が含まれますので閲覧注意)
12/09 09:00 三毛別六線沢の松村家の農作物が羆に荒らされているのが発見される。 12/09 10:00 加害羆が上流の大田家を襲撃。最初の被害者となる女性(36)と男児(6)の2名を殺害。女性を屋外に引き摺り出して拉致したうえで食害に及ぶ。 12/10 15:00 近くの林間で穴に埋められた遺体の一部、女性の頭部と足が発見され、太田家に収容される。 12/10 20:30 遺体を取り戻そうとした羆が、通夜の最中だった太田家を再度襲撃するが、銃の発砲に追い払われ死傷者なし。 12/10 20:50 いったん逃げた羆が下流の明景家を襲撃。臨月の女性(34)、男児(6)、幼児(3)、幼児(3)の4名を殺害。男性(59)、女性(34)、幼児(1)の3名に重傷を負わせる。女性はお腹の胎児の命乞いを叫びながらそのまま食害される。 12/10 21:40 救援隊が屋内から羆を追い払い、居間で殺害されている子供3名と、半身を食害された女性、腹を食い破られて引き摺り出された胎児の計5名の遺体を発見。胎児は発見時にはまだ動いていたがまもなく死亡。 12/10 22:00-24:00 全ての開拓民が6km離れた分教場などに緊急避難を完了。 12/11 救援隊の増員派遣要請。 12/12 討伐隊の編成。事の重大性に鑑み、羆の習性から遺体を囮として使用する事を決定。 12/12 19:30 羆が囮の遺体が置かれた明景家周囲を彷徨き、大田家に侵入して荒らすが、討伐には至らず。 12/13 陸軍歩兵隊の出動準備。 12/13 17:00 羆が空家となった近隣の農家に次々と侵入し狼藉を働く。被害にあった農家は前述の2軒を加えて11軒あまり。主に女性用の衣類や枕などがズタズタに引き裂かれる等。 12/13 20:00 討伐隊が射止橋付近で羆を発見し発砲。手傷を負わせるが取り逃す。 12/14 早朝に羆の血痕を発見した討伐隊が夜明けと共に追跡を開始。 12/14 10:00 マタギの猟師(57)が2発の銃弾で加害羆を射殺。事件は収束。 12/14 10:30...
Read more2019.8.1NHK B/S「ダークサイドミステリー三毛別ヒグマ襲撃事件の謎に迫る」で紹介されました。何回もテレビで扱われた日本史上最悪の獣害です。
当方はここには来たことはありませんが、数年前に福岡大学ワンダフォーゲル部員の3名が犠牲となったカムエクウシカウチ岳の八の沢カールでテント泊をしました。近くの岩に福岡大学ワンダフォーゲル部員慰霊のプレートがありました。三毛別ヒグマ事件も知っていたので恐ろしい気持ちになりました。テントに熊避け鈴を付けて浅い睡眠を取りました。
ここは機会があれば是非とも訪問したい所です。
番組では、下記の惨劇の模様を紹介
1915年(大正5年)10月中旬~下旬に、ここから4.1km下流の射止橋近くの池田宅に羆が3回現れ、外に吊った干しトウモロコシを食べた。その後、11月9日に、人間の食べ物を覚えた羆がここから650m下流の太田三郎宅を襲い、幹雄6才を殺し、妻マユを咥えて山を登り、マユを食い殺した。
更に、11月10日に太田宅から500m下流の明景安太郎宅(男1人、女2人、子供7人が居た)を羆が襲い、斎藤タケと子供5人が死亡...
Read more札幌を早く出て、あちこち訪ねてついに古丹別に到着。
古丹別市街から約に20分、18㎞程道々1049号(ベアーロード)を走りする。
看板かありそこからの脇道は、未舗装で砂利道が固まった路面の道を、200m位進むと左手に熊のオブジェが現れる所が復元地である🆗。
日中なのに山奥の森林に囲まれているので、薄暗く感じる場所である😱。
今にもヒグマ🐻が、出現しそうな感じで、少々スリルを越えて、戻りたい気持ちになる😱。
またスマホ携帯が圏外になっているのだ😱。この時間も静かで、薄暗い感じであり、夜間では何かと危険を感じてしまいそうだ😱。
当時の住居は、木の支柱に、縄で藁をぐるっと張り付けた小山である。内部も再現されている。
この小屋なら簡単にヒグマなら、一撃で壊してしまったんたろうと想像する。
事前に記録を見ると、1915年(大正4年)12月9日から、14日にかけて約340kgの巨大なヒグマが現れる👀‼️。
そのクマは空腹にまかせて、次々た人家を襲いしたのだ。
この事件で犠牲者は7人死亡、3人重症と獣害史上最大の悲劇となったのだ😱。
しかしこのヒグマ🐻は、熊撃ち名人として名高い、マタギ老人の山本兵吉に、2発の銃弾で射殺されたのである🆗。
日本史上最悪の熊の被害を出した事件とある。
ここに来て知床羅臼でのクマとの共存の件、更に人間とクマの共存がうたわれているのを、考えさせられる現場であった👏。
2年ぶりに訪ねた(2023.8)。前回同様クマ目撃情報の看板もある。
巨大な熊のオブジェの傷みもあるが、黒光りの熊🐻の迫力は、恐怖を感じる。
全国的にも貴重な復元地であり、今以上に発...
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