八幡神社(別名:塩浪八幡神社、大衡八幡神社)の御祭神「八幡大神」は、天文13年(1544年)大崎氏の家臣、黒川下総守景氏の二男である大衡治部大輔宗氏(おおひらじぶだいすけむねうじ)の居城(塩浪館又は越路館)として築城の時、城の鎮守として本丸に奉安された。
天正18年(1590年)大衡治部大輔宗氏の子、大衡氏胤が城主の時、豊臣秀吉の奥州仕置きによって伊達家の所領となり、廃城した。御祭神は、大衡村に在郷屋敷を持つ伊達家中達により、現在の社地に遷座されたといわれる。
その後、伊達家藩主忠宗に見出された祈祷僧で、本山派に属する良覚院修験快真の嫡子有真が、戸田定隆(俗姓戸田長五郎)として19歳で還俗し、寛永8年(1631年)12月大衡村竹ノ内に屋敷を構え、松本屋敷の良覚院修験三明院昌元(昌源)と共に村の神社として護持された。
元禄10年(1697年)戸田長五郎勘太郎氏は、天照大神・天之御中主神(妙見菩薩)・白山比咩大神(白山権見)の三神体を奉安と土地350文を寄進すると共に、別当寺の三明院昌元(社家の先祖)を初代別当にした。
安永年中(1772年~1780年)頃、大衡村は日照り、悪川(善川)の氾濫、疫病等により人心の乱れを鎮めるため、三明院光秀別当が伊勢参りをしたが、道中疫病で倒れ、文政元年(1818年)まで無住となり、ご神体は境内地の地主横橋忠三郎が保管された。
文政元年(1818年)八幡宮は三明院正善が再興し、文政6年(1823年)再造八幡宮本地供すとの記録があり、現在の神殿の形状に遷宮された。
明治2年(1869年)年12月、明治政府に三明院元諄(櫻木元諄)が八幡神社の宮司の復飾願により、初代宮司に就任し、明治6年(1873年)3月大衡村の村社に列せられた。
明治17年、四村(駒場村、大森村、大瓜村、奥田村)の連合村となった大衡村の村社に列せられ、明治41年12月21日に旧大衡村の9社を別宮・相殿神とし、現在に至る。
主祭神:応神天皇 (八幡大菩薩)、天之御中主大神 (妙見菩薩)、白山比咩大神...
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