菟足神社(うたりじんじゃ)。愛知県豊川市小坂井町字宮脇。
式内社(小)、旧県社。
主祭神:菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)
資料によると、 祭神は、雄略天皇の頃、穂の国(現在の東三河)国造であった菟上足尼命で、葛城襲津彦の四世孫。 葛城襲津彦命は、仁徳天皇の皇后磐之姫媛命の父にあたり、大和国葛城の豪族として大きな権力を持っていたとされる。 菟上足尼命は、没後、顕著な殖産、治民の功によって、三河国平井の柏木浜に奉斎され、天武天皇の治世、白鳳15年(686年)4月11日に、秦石勝(はたのいしかつ)により、現在地に遷座されたという。現在地には昔、八幡神を祀っており、その相殿となったという説もある。
中世では、菟足八幡宮とも呼ばれ、現在も、本殿横に境内社・八幡宮がある。
菟足神社とウサギ、 神紋が兎(ウサギ)ということもあり、建物や灯篭、瓦など、いたるところにウサギが。 隠れウサギ探し。境内のウサギは全部で50羽近く。ぜひ探し出してみてくださいね。
地元の方から2022年10月、「なでうさぎ」が奉納されました。体長70cm、チェンソーアート名人が奥三河の杉で制作したもの。賽銭箱の横に置いてありますので、みなさんが触っていってくださいます。また、愛らしいウサギのおみくじや置物、御朱印も人気です。ぜひ一度、訪れてみてください。 とあります。
参考として、 菟足神社と徐福伝説の一部を抜粋すると、 2.菟足神社の創設者は、「秦氏」ともいわれている。 菟足神社県社昇格記急碑(大正11年12月22日昇格)に、「菟足神社は延喜式内の旧社にして祭神菟上足尼命は(中略)雄略天皇の御世、穂の国造に任けられ給ひて治民の功多かりしかば平井なる柏木浜に宮造して斎ひまつりしを天武の白鳳15年4月11日神の御教のまにまに秦石勝をして今の処に移し祀らしめ給ひしなり 」と記されている。 3.菟足神社には、昔から中国的な生贄神事が行われている。 古来菟足神社の神事には、猪の生贄を供えていた。三河国の国司大江定基が、その生贄の残忍なありさまを見て出家し、唐に留学し寂照法師となったことが、「今昔物語」(平安後期)に書かれている。生贄神事には人身御供の伝説もあるが、現在では雀12羽を供...
Read more1つの俗説だと思って下さい なぜウサギがこの神社の「神紋」なのか?
12支ってあります
北は「子」な鼠 東は「卯」な兎 南は「午」な馬 西は「酉」な鳥
これは中国では四夷という外敵
北狄 東夷 南蛮 西戎
12支を見ると~
北は「ねずみ」 東は「うさぎ」 南は「うま」 西は「とり」
この中で一番厄介なのが「北狄」 みなさんもご存じな「匈奴」です だからこそ山海関から延々と万里の長城を築き上げました
なんで北の遊牧民が来るの? 冷涼期間は~馬に餌を喰わせられなくなる だから渡り鳥みたいに南下するんだ これ以上、ここでは言いません、だって本が1冊上奏できます
卯たる神社・・・東夷を意味してます 東=「兎」=「卯」 兎足神社ですが~誰から診たら東でしょうか? この兎さん、♀です つまり嫉妬深い女です 小坂井区内では、ウサギがマトモに育ちません 今現在は、そんなことないけど、50年前以上なとき まじ、ウサギさんは、この地では絶対飼ってはいけません だって、悲惨なしにかたするんだもん この理由は、因縁としか言いようがない 死に方が可哀想なんだよ
俺の実父はこう言いました 「ウタリさんの大神さんは、メスのウサギ したがって、ものすごく嫉妬深い厄介な神様」
だからこそ、処女な生娘を生贄に捧げた 子だが橋「高橋」伝説とも、つながるわけです
西暦686年が創立ですけど、しばらく♀を奉納してました さすがに人身御供はマズイわけだ 次がイノシシ御供してて その状況が宇治拾遺と今昔物語に掲載されました
その時の三河国司こと「大江定基」さんが大ショック 官僚から出家、坊さんになりましたとい...
Read more祭神「菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)」は孝元天皇の末裔、葛城襲津彦命(かつらぎそつひこのみこと)四世の玄孫にあたり、雄略天皇の治世に穂の国国造に任ぜられた。没後柏木浜に奉斎されたが、白鳳15年(686年)秦石勝(はたのいしかつ)により現在地に遷座されたという。 また春祭(風祭、生贄祭)の人身御供(ひとみごくう)の話は今昔物語に『菟足神社の大祭の日に、この橋を最初に渡る若い女を生け贄にする風習があった。男が生贄を狩りに行くと、不運にも自分の娘が来たではないか。男は自分の子だが生け贄にした。』と記載されている。 秦石勝は聖徳太子のブレーンであった秦河勝の子であり、秦の始皇帝の末裔とされる渡来系氏族だったが、その秦氏一族が信奉していた宗教的儀式だったのだろうか?
豊橋市白色町には「秦氏の先祖は、中国から熊野へ渡来し、熊野からこの地方に来た」との伝承があるらしい。 そういえば、田原にある蔵王山も熊野からの移民が名付けたとされ、鳳来寺山も蓬莱山から名付けられたのではないか? 熊野は徐福伝説が残る地であり、そこから子孫がやって来たのだろうか? とすると秦氏と徐福一族は元々は同一氏族であったのだろうか...
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