⛩️⛩️⛩️⛩️⛩️ 「竹来」は「たかく」、「阿彌(阿弥)」は「あみ」と読む📖👓。 駐車場🅿️なし‼️車🚙は他の車両のじゃまにならぬよう道路端に寄せて止めよう。 いやはや何とも雰囲気のある素晴らしい😃神社⛩️ではないか❗平地にあって、まるで深山に立ち入ったかのよう。参道を歩く🚶と左手に石碑が5メートル間隔にずっと並んでいる。 実は、軍事遺構の「旧霞ヶ浦神社」は❓間違えた😱それは中郷の阿彌神社だった。 2021年10月4日(月)に阿見町の街歩きで訪れた。
ウィキペディアによると、 ●阿弥(あみ)は、時宗の開祖一遍が説いた阿弥陀仏の教えを信仰する男性信徒が授かる法名、「阿弥陀仏(阿彌陀佛)号」の略称である。日本の南北朝、室町期以降に、僧侶という宗教家としての側面をもちつつ、芸術家として生涯を過ごした阿弥(阿見)は多い。阿弥は、後世の日本文化に大きな影響を与えた存在である。
以下は境内の案内板より ●阿見町名所百選 竹来の阿弥神社 竹来は常陸国風土記の普都大神(ふつおおかみ)降臨の地とされ、 当社は中世では庄内第一の惣廟(そうびょう)として二の宮明神とよばれた。 近世 に阿弥神社と改める。 社伝によると祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)である。 本殿は元禄4年 (1691) の棟札があり、 町内最古の建築で ある。 神域を囲む樹叢は町指定文化財である。 また境内に 吉田麦翠の句碑 「湖の風も通うて夏木立」 がある。 なお境内の西方に縄文中期の根田貝塚、 南方に付近から 出土した中世石塔群がある。 阿見町教育委員会
●阿見町指定天然記念物 阿弥神社樹叢(じゅそう) 昭和五十二年三月二十二回 阿弥神社の創建は六〇七年、推古天皇(五 九三~六二九)の年代と伝えられる。創建 当初より社格の高かった神社であり、この 神域を取囲む日本杉の荘厳な樹叢は植樹 に関する確かな文献はないが、伐採した切り株の年輪から推定すれば三〇〇年以上の歳 月を経ていることは明かである。しかも千 数百年の昔より、守護神として郷土の人び との信仰の的となってきた阿弥神社の尊厳 をいやがうえにも支えてきた貴重な樹叢で ある。 昭和六十年七月一日 阿見町教育委員会
●阿弥綠地環境保全地域 この地域の高木層は植林されたスギを主としていますが、 自然林に生育する常緑広葉樹のスダジイ、 シラカシなどが 混生しています。 林内にはヒサカキ、ヤブツバキ、シロダモ のほか、関東以西に多く分布する落葉広葉樹のゴンズイや、 多年草のヤブミョウガなどが生育しています。 周辺にはコジュケイ、ヒバリ、セグロセキレイなどの鳥 類が豊富にみられ、 チョウ類では、アオスジアゲハ、アカ タテハなどを見ることができ、 良好な自然環境を形成して いる地域です。 平成31年2月設置...
Read more竹来阿彌神社は「阿見町名所百選No.9」に指定されてます。
阿見町名所百選とは、阿見町内に存在する景勝地、旧跡、天然記念物、歴史的建造物などを「名所」として選定することで、町の歴史と魅力を再発見してもらおうという事業だそうです。
境内社 主祭神 健御雷之男命 配神 経津主命、天兒屋根命 神体は円鏡である。
普都神話に由緒を求める来歴上、主祭神を普都大神とする説もある。
境内社 明治神社誌料には、以下の境内社が記載されている。 大杉神社(大物主命) 産霊神社(高皇産霊神) 茨城県神社写真帳では 「皇産霊神社」...
Read more阿彌神社(あみじんじゃ、阿弥神社)。 式内社(小)阿彌神社の論社、旧県社。 明治初期までは旧信太郡の二の宮として「二の宮明神(二宮明神)」を称した。
資料によると、 『式内社調査報告』によると、当社の創祀は、舒明天皇三年(631)とも、孝謙天皇勝宝年中(749~757)とも伝えられているらしいが、社頭案内板では、推古天皇の御代の607年であるという。
『常陽式内鎮座本紀』によると、第十代崇神天皇の第二皇子・豊城入彦命が、崇神天皇四十八年に、東海より東山を治めたことにより、祭神として祀られたとあるが、 祭神は普都大神とする説もあり、現在は、健御雷之男命を祭神とする。
明治以前は、二の宮として崇敬された古社で、1.5Kmほど西にある阿見の同名社とともに、式内社・阿彌神社の論社となっている。
配祀の二神(經津主命・天兒屋根命)は、それぞれ廻戸と大室に祀られ、当社祭神と合わせて、竹来三社と呼ばれていたという。 とあります。
主祭神:健御雷之男命 配祀神:経津主命、天兒屋根命
神体は円鏡である。 普都神話に由緒を求める来歴上、主祭神を普都大神とする説もある。 普都大神とは、蝦夷地征伐の後、この地で亡くなった、ヤマトタケルノミコトの事であり、経津主命として香取神宮で祀られる(出...
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