Nerimarkebla sanktejo situanta malantaŭ Watari Urba Parko. Estas tradicio ke la sanktejo estis fondita en 111. Enirante Itineron 6 laŭ la norda flanko de la urba parko, vi vidos torii pordegon dekstre. La gruza spaco antaŭe povas esti parkejo.Post trapaso de la torii pordego, estas krutaj ŝtuparoj. Ĝi estas sufiĉe malorda, do tiuj, kiuj ne certas, uzu la manbarilon maldekstre. flanko.La malsupreniro estas pli maltrankviliga ol la supreniro. Grandaj cedroj elstaras inter la arboj de la sanktejo. Signo sur la man akvuma baseno mencias ses cedrojn, sed ne estas klare kiuj ses cedroj. Cirkau la kultejo estas grandaj ŝtonoj kun ŝimenawa kaj sanktejo. La konstruaĵo dekstre estas nekonata, ĉar ne estas plata signo.Povas esti portebla sanktejo, sed la torii forma sigelo estas maltrankviliga. La ĉirkaŭaĵoj de la sanktejo estas purigitaj de falintaj folioj kaj aliaj rubaĵoj, do verŝajne la sanktejo estas ofte homekipita. Ŝajnas kvazaŭ la pado malantaŭ la maldekstra flanko de la torii pordego kaj la pado sur la dekstra flanko malantaŭ la ĉefa sanktejo estas konektita al ie. La sanktejo oficejo ŝajnas esti dekstre antaŭ la torii pordego. Sajnas esti necesejo maldekstre. flanko, sed ĝi estas nekonata ĉar ne estas signoj aŭ...
Read more神名帳の陸奥國曰理郡の項に記載のある鹿嶋天足和氣神社と記載のある式内社。
神名帳の曰理郡には四座記載があって、鹿嶋伊都乃比氣神社・鹿嶋緒名太神社・安福河伯神社・鹿嶋天足和氣神社となっている。
このうち安福河伯神社を除く三社は鹿島三社と呼ばれていて、ヤマト王権の東北進出にあたり、当地に鹿島系の神を配置したものと考えられる。
天足和氣命は石巻市の日和山山頂にある鹿島御児神社にも祀られていて、鹿島の御子神であることは間違いないだろう。当社は一座なので、本来の御祭神は天足和氣命のみだろう。
鹿島三社のうち鹿嶋伊都乃比氣神社は逢隈鹿島にあったといわれているが廃絶したか、あるいは当社か鹿島緒名太神社か亘理町吉田の月山神社に合祀されたか、詳しいことはわかっていない。また、鹿嶋緒名太神社は亘理町逢隈小山にあるが、当社も論社となっている。
いずれにしてもこの狭いエリアに式内社が集中していて、ヤマト王権にとっても重要な拠点であったのだろう。実際に阿武隈川の南側には式内社が多いが、北側の岩沼市や柴田町には式内社がない。まるで阿武隈川を挟んで、蝦夷と対立していたようにも見える。
また、鹿嶋緒名太神社や安福河伯神社からほど近いJR逢隈駅の西側には三十三間堂官衙遺跡という平安時代前半の郡衙の跡が発見されている。
境内の案内板に詳しい由緒があるので、それによると、 御祭神は武甕槌神・稜威雄走神(天之尾羽張神、いつのおはしりのかみ)・猿田彦命となっている。
景行天皇の御代、三門山山頂に日本武尊の勧請により創建された古社。天慶四年(941)に北鹿島樫木山頂に遷座し、その後、貞享三年(1686)に伊達実氏により...
Read more亘理郡に鎮座する延喜式内社4座(現在は3座)のうちの一社の鹿島天足和気神社です。ご祭神は武甕槌神、猿田彦神(鹿島緒名太神社)、稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を主祭神に、その他に近隣に鎮座していた素戔嗚尊、天児屋根命、誉田別命、天之御中主神を合祀しています。
鹿島天足和気神社の名前は、宮城・福島の沿岸地域において国土平定を行ったという神話が残されている武甕槌神の御子神の天足別神(あまたりわけのかみ)に関係があるという説があります。
創建は景行天皇41年(111年)に、東征にやってきた日本武尊によって三門山に勧請されたという古社で、主祭神のうち、猿田彦神を祀る鹿島緒名太神社と稜威雄走神を祀る鹿島伊都乃比気神社は亘理郡に鎮座する延喜式内社4社のうちの2社で、鹿島天足和気神社は亘理郡の式内鹿島三社の首座の神社として崇敬されています。
同じく延喜式内社である鹿島緒名太神社は逢隈の小山地区に鎮座していますが、鹿島伊都乃比気神社は現在廃絶しています(明治時代の資料には、吉田の作田地区の民有地内にあり、明治43年に同地区の月山神社へ合祀されています。その他にも、鹿島緒名太神社の境内に並列して鎮座していたという説があります)。
境内には鹿島緒名太神社・鹿島伊都乃比気神社の石祠、いぼ神さまをまつる石祠、地震鎮めの要石、神輿堂(旧拝殿)があります。また、近くの八雲神社・春日神社の境内には、鹿島天足和気神社が三門山に鎮座していた時の石祠が置かれています。
(御朱印:あり...
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