令和6年11月13日参拝
越中万葉の歌碑があると知り訪問。穴水湾から参道に入り正面に鳥居と対すると右側に歌碑が見える。
従珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱灣仰見月光作歌一首
題詞 珠洲(すす)の郡(こほり)より舟を発(いだ)し、太沼の郡に還(かへ)る時に、長浜(ながはま)の湾(うら)に泊り、月の光を仰ぎ見て作る歌一首
原文 珠洲能宇美尓 珠洲の海に 安佐妣良伎之弖 朝開(あさびら)きして 許藝久礼婆 漕ぎ来れば 奈我波麻能宇良尓 長浜の浦に 都奇氐理尓家里 月照りにけり
巻17 四〇二九 大伴家持
「右件《みぎのくだり》の歌詞は、春の出挙《すいこ》に依りて諸郡を巡行す。」とある通り、越中国守として能登諸郡の農民に稲の種もみを貸付ける仕事を終え、能登半島先端の珠洲から越中国府へと舟で帰る時に詠んだ歌。 「長浜の浦」については諸説あって、多くは氷見市から高岡市へと続く「麻都太要(まつだえ)の長浜」とする説だが、ここでは「古代の穴水地域は、能登國能登郡(後の鹿島郡)の長浜郷に属し、郷内の海は長浜湾(ながはまのうら)と呼ばれた」「ここにみえる長浜湾は、現在の穴水の入江である」としている。 碑字の森田柿圓(しえん)は加賀藩の郷土史家、 碑文の東四柳史明氏は長谷部神社宮司であ...
Read more写真の通りお稲荷さんです。 恐らく穴水城と繋がっていると思いますが、そこへ行く階段は草が生い茂り行く勇気はちょっと出ませんでしたね。 穴水城側も草だらけだったので… 小さな祠のようなものに子宝の石というのがありました。 中に入っているのか何なのかよくわかりませんでしたが… 資料館が併設されていましたがショボそうなのに入館料が必要なため入りませんでした。 神社自体はそれなりに整備はされていますが特に何かあるわけ...
Read more平家物語にも出てくる長谷部信連を祀った神社。特徴的なのは、狛犬ではなく狐になっている。これは、狐が信連の生命の危機を救ったという逸話から、長谷部(のちに長と名乗る)の守り神として崇められたことによる。 併設の民族資料館は、入場料がかかるが、長氏にまつわる貴重な資料が展示されている。残念ながら展示に「色気」がないので、冷やかしではいってもその価値が...
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