戦国時代の城址。安中忠政が松井田城に拠り、息子をここに配置しようとしていたらしいが、完成前に武田軍により陥落。その後の築城はされず徳川時代には陣屋が置かれた。体育館の西に縦掘が残る。文化センターの西から国道をまたぐ歩道橋があるが、これは江戸時代にいじめで殺された女中の名をとって、お八重橋という。お八重橋の北側もかつての城址の一部であり、国道18号安中バイパスは城址を削って通されている。旧18号は南側の市街地を通る。もとの地名は野尻といい、窪庭図書を追って安中氏が所領したと、県教育委員会の故・山崎一先生の著作にある。
文化センター西の体育館の裏手に縦堀があったが近年に埋め立てられてしまっ...
Read more戦国期に安中氏によって築かれ、武田氏に服属し、江戸時代には井伊氏などが入封、明治維新後に廃城となる。規模は東西900m、南北400m。茅葺御殿で、陣屋造り。市の北部の高台にある城跡には文化センターや小学校などが並び建ち、かつての面影を偲ぶよすがはどこにもない。小学校の正門のそばに一応城址碑が立っているが、それだけでは腹の虫が収まらなければ、ちょっと東へ行ったところに鎮座している熊野神社へ行くことをお薦めする…。安中城の東門が社門とし...
Read more安中城は1559年(永禄2年)、安中忠政によって築城されました。 安中氏は越後から出て、上州松井田に城を築き、忠政の代になって野尻に築城。この地を、みずからの姓を取って、安中と名づけたといいます。 その後は上州の諸城と同じく、武田、上杉、北条と主君を変えて生き残りを図りますが、北条氏の滅亡とともに、安中氏も四散しました。 しかし、安中城は徳川家康の関東入封とともに再建され、井伊、堀田、板倉など錚々たる大名の居...
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