中将姫伝説が残るお寺で、毎年5月14日に来迎会式が行われ、この辺りの有田地域では、『婿をとるなら千田の祭り、嫁をとるなら糸我の会式』と昔から言われています。 なぜ『嫁をとるなら・・』なのかは伝説における中将姫(ちゅうじょうひめ 747年〜775年)の生涯によるものが大きいと思われます。 この地に残る中将姫伝説を要約すると、 ・右大臣藤原豊成、紫の前夫婦が長谷寺の観音様にお祈りし中将姫を授かる。 ・中将姫4歳で琴を習い始める。5歳で母の紫の前が亡くなる。7歳の時父豊成が照夜の前と再婚し男児豊寿丸が産まれる。 ・中将姫9歳、美貌と才能あふれ孝謙天皇の前で琴を演奏し13歳で『中将』の位を授かり中将姫と呼ばれ始める。が、照夜の前が嫉妬し始め、父の豊成不在時の桃の節句で毒を盛るも、誤って豊寿丸が亡くなる。 ・中将姫14歳、照夜の前の命令で家臣の伊藤春時が糸我の雲雀山に連れ出し殺害を試みるも命乞いせず亡き紫の前の供養を行う姿を見て殺害を断念し、春時はその後偽装報告を行い、この地に残り出家し『得生』と号し姫を見守る。(得生寺の起源) ・翌年、糸我に狩に来た父豊成に発見され連れ戻され、16歳で淳仁天皇より後宮に入ることを勧められるも拒否し当麻寺に入る。 ・蓮糸で曼荼羅を織る ・29歳で阿弥陀如来をはじめ二十五菩薩が来迎し生きたまま西方極楽浄土に向かう。
ただ、一般的に中将姫は「ひばり山の青蓮寺に身を隠した」と言われており、どこに身を隠したかははっきりされていません。 この地を含め主に3カ所に内容の異なった伝説が存在し、各地が中将姫が隠れ住んだ「ひばり山」を名乗っております。一つはここ糸我の雲雀山、二つは同じく和歌山県橋本市恋野の雲雀山、三つ目は奈良県宇陀市菟田野宇賀志の日張山。 ここ糸我の雲雀山の東、有田川町天満に青蓮寺(しょうれんじ)が存在する。 和歌山県橋本市恋野には雲雀山のみ存在する。 奈良県宇陀市菟田野宇賀志には日張山に青蓮寺(せいれんじ)が存在する。 どこが本当なのか?考察してみるの...
Read more私事、熊野古道紀伊路を歩いておりまして、ここ得生寺は熊野古道沿いに有ります。中将姫ゆかりのお寺と言う事で「中将姫伝説」を初めて認識しました。「中将姫伝説」については有田ジャンクファンクさんのクチコミが詳しく分かりやすく投稿されていますので是非ご一読下さい。大の大人が僅か13才の少女に嫉妬して実の息子を誤って殺めてしまい、更に逆恨みして家臣に殺害を命じるなんて封建時代は恐ろしい😰。 ところでこのお寺、至るところに格言が掲げられ身につまされます😞。画像を頑張って投稿しましたが、順序がバラバラになりま...
Read more幹線道路から南に位置する寺院で住宅街にあります トイレも駐車場もあり 綺麗な寺院ですIt is a temple located south of the main road in a residential area. It is a beautiful temple with toilets and a...
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