HTML SitemapExplore

Enichiji Temple — Attraction in Bandai

Name
Enichiji Temple
Description
Nearby attractions
Bandai-san Enichiji Historical Museum
Teranishi-38 Bandai, Yama District, Fukushima 969-3301, Japan
Nearby restaurants
菜食cafe ametsuchi
Motoderashita-4914 Bandai, Yama District, Fukushima 969-3301, Japan
Aizune
Juodo-38 Bandai, Yama District, Fukushima 969-3301, Japan
おむすび屋cafe磐梯
Juodo-38 Bandai, Yama District, Fukushima 969-3301, Japan
Nearby hotels
Related posts
Keywords
Enichiji Temple tourism.Enichiji Temple hotels.Enichiji Temple bed and breakfast. flights to Enichiji Temple.Enichiji Temple attractions.Enichiji Temple restaurants.Enichiji Temple travel.Enichiji Temple travel guide.Enichiji Temple travel blog.Enichiji Temple pictures.Enichiji Temple photos.Enichiji Temple travel tips.Enichiji Temple maps.Enichiji Temple things to do.
Enichiji Temple things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Enichiji Temple
JapanFukushima PrefectureBandaiEnichiji Temple

Basic Info

Enichiji Temple

Motoderakami-4950 Bandai, Yama District, Fukushima 969-3301, Japan
3.8(145)
Closed
Save
spot

Ratings & Description

Info

attractions: Bandai-san Enichiji Historical Museum, restaurants: 菜食cafe ametsuchi, Aizune, おむすび屋cafe磐梯
logoLearn more insights from Wanderboat AI.
Phone
+81 242-73-2320
Website
town.bandai.fukushima.jp
Open hoursSee all hours
Sat10 AM - 5 PMClosed

Plan your stay

hotel
Pet-friendly Hotels in Bandai
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Affordable Hotels in Bandai
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Trending Stays Worth the Hype in Bandai
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Reviews

Nearby attractions of Enichiji Temple

Bandai-san Enichiji Historical Museum

Bandai-san Enichiji Historical Museum

Bandai-san Enichiji Historical Museum

4.0

(93)

Closed
Click for details

Things to do nearby

Experience at Toyokuni Sake Brewery
Sake tasting & brewery tour
Experience at Toyokuni Sake Brewery Sake tasting & brewery tour
Tue, Jan 13 • 9:00 AM
969-6536, Fukushima, Aizubange, Kawanuma District, Japan
View details

Nearby restaurants of Enichiji Temple

菜食cafe ametsuchi

Aizune

おむすび屋cafe磐梯

菜食cafe ametsuchi

菜食cafe ametsuchi

4.7

(12)

Click for details
Aizune

Aizune

3.9

(159)

Click for details
おむすび屋cafe磐梯

おむすび屋cafe磐梯

3.6

(8)

Click for details
Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Wanderboat LogoWanderboat

Your everyday Al companion for getaway ideas

CompanyAbout Us
InformationAI Trip PlannerSitemap
SocialXInstagramTiktokLinkedin
LegalTerms of ServicePrivacy Policy

Get the app

© 2025 Wanderboat. All rights reserved.

Posts

aaron meldahlaaron meldahl
This was once the most important temple in the Aizu area, but was destroyed in the late 19th century separation of temples and shrines. There's only one restored main building with an amazingly recreated Yakushi Buddha statue that is new but looks as if it's been here for forever. It's nice to wander among the surrounding small temples and shrines as well as the little town. As yet, it is completely untouristy but Japanese tours seem to be increasing. The nearby museum gives fascinating information on how Buddhism integrated with the native worship of Mt. Bandai, but for now everything is in Japanese.
ヤマ田太郎ヤマ田太郎
以前からどうしても、一度は訪問してみたかった場所だったんですよ、ココは(笑)。 なんせ、あの仏教界のスーパーカリスマ、天台宗の「最澄」そして真言宗の「空海」と論争して一歩も引けをとらなかった、それどころか宗論で最澄の論理の矛盾を突き、苦しめノイローゼ状態にしたほどの「知の巨人」会津・徳一上人がこの寺の開基だからです。そして徳一の墓と伝わる平安時代の層塔も、この寺にあります。 何で当時「最澄」「空海」と並び称せられた程の人物が今は無名かというと、「円仁」などの優秀な弟子が存在した最澄サイドと違って、残念ながら徳一の論理をさらに洗練発展させ、開祖の功績を讃え世間に広めてくれる、そうした後継者に恵まれなかったからです。 そもそもは中国で最新の教学を学び京都で「天台宗」の開祖となった新進気鋭の僧「最澄」に対し、旧来からの奈良の仏教勢力「南都六宗」が挑んだ宗論が始まりです。 「生意気な若造にモノを教えてやる」つもりだったのかもしれませんが、奈良の学僧達は逆に最澄にコテンパンに論破されてしまいました(笑)。 そこで南都側が繰り出した「切り札」が六宗の一つ「法相宗」の僧侶であった天才、会津・徳一だったのです。 論争は「三一権実論争」と呼ばれ奥が深すぎ、ワタシ程度の浅学非才の人間では理解が難しいのですが「どのような種類の人間でも最終的な悟りが得られる」とする最澄の説に対して、一方の奈良の旧仏教側は「人間のステージは生まれつき決まっており、それに合わせた悟りの境地にしか達することは出来ない、しかし修行によって変えられる」としていて、その論証を互いに数々の経典や過去の歴史的記録を基に行おうとした、ようです多分・・(笑)。 そりゃ旧仏教の側も誰でも悟りが得られるなら「じゃあ今までの辛く厳しい修行は何だったの?」となるので必死です(笑)。 徳一は遠隔地にいたので最澄とは手紙による論争になり、結果として文書記録として残り後世の益となりました。また最澄サイドも争いの中で自説を補強し論理を磨き、さらに天台宗を洗練させていく助けとなっています。 もっとも最澄は論敵である徳一を「賢しらに法を曲げる者」「方向もわきまえぬ者」「田舎者」などと激しく罵っていますがね(笑) ジェントルな印象の強い最澄ですが意外な一面も見せてくれます。それだけ論理的に追い詰められていた、ということなんでしょう。 現地では徳一在住当時の慧日寺の金堂や山門が、発掘調査に基づき原寸復元されています。こんな地方から徳一は都の超一流の論客に対して、「知」による真剣勝負を挑んでいたんですねぇ、何か凄くカッコいい(笑)。
まるみきよまるみきよ
何年か前に一度行きました。 広い敷地に1200年前は伽藍があり、僧たちの修行の場となる堂舎や、中門・金堂・講堂・食堂もあったようです。徳一を師として人が集まり、いつしか寺僧300人、僧兵数1000人、子院3800を数えるまでに大きくなって、仏都会津の礎を築き凄く栄えていた慧日寺。そんなことを想像しながら見て回るのもおもしろいです。 法相宗高僧徳一と天台宗の祖最澄の間には仏教宗論があり、これは2人没前まで決着を見なかったとのこと。 真言宗の祖空海から高僧徳一への書簡には「私が聞いているところでは、徳一菩薩は厳重に戒律を守っていて、珠にたとえると氷の玉のようであり、その智慧の深く澄みきったさまは大海のごとくと承っています。おんみは静かな山中に修行の場を求めて錫杖を振りながら東に行き、(東北の地に)始めて仏法の旗を立てて、人々の耳や目を開かせ、高らかに法の道を説き、あらゆるもののもっている仏のこころを奮い起こされました。」と、賛辞と共に都の喧騒を逃れ、仏法の専修を目指して東国へと至った経緯を記している。 徳一菩薩、とまで呼ばれていた高僧徳一が、奈良から会津まで来られたわけは、。など興味が湧きます。 慧日寺も明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に伴って廃寺(はいじ)となったようですが、奈良正倉院のほか全国的にも数例しかない古式の密教法具である「白銅三鈷杵(はくどうさんこしょ)」(国指定重要文化財)があるようです。 前回伺った際、復旧の動きを知りました。 今回イベントでまた伺おうと思ってましたが、コロナ影響で中止になってしまい残念。
See more posts
See more posts
hotel
Find your stay

Pet-friendly Hotels in Bandai

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

This was once the most important temple in the Aizu area, but was destroyed in the late 19th century separation of temples and shrines. There's only one restored main building with an amazingly recreated Yakushi Buddha statue that is new but looks as if it's been here for forever. It's nice to wander among the surrounding small temples and shrines as well as the little town. As yet, it is completely untouristy but Japanese tours seem to be increasing. The nearby museum gives fascinating information on how Buddhism integrated with the native worship of Mt. Bandai, but for now everything is in Japanese.
aaron meldahl

aaron meldahl

hotel
Find your stay

Affordable Hotels in Bandai

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
以前からどうしても、一度は訪問してみたかった場所だったんですよ、ココは(笑)。 なんせ、あの仏教界のスーパーカリスマ、天台宗の「最澄」そして真言宗の「空海」と論争して一歩も引けをとらなかった、それどころか宗論で最澄の論理の矛盾を突き、苦しめノイローゼ状態にしたほどの「知の巨人」会津・徳一上人がこの寺の開基だからです。そして徳一の墓と伝わる平安時代の層塔も、この寺にあります。 何で当時「最澄」「空海」と並び称せられた程の人物が今は無名かというと、「円仁」などの優秀な弟子が存在した最澄サイドと違って、残念ながら徳一の論理をさらに洗練発展させ、開祖の功績を讃え世間に広めてくれる、そうした後継者に恵まれなかったからです。 そもそもは中国で最新の教学を学び京都で「天台宗」の開祖となった新進気鋭の僧「最澄」に対し、旧来からの奈良の仏教勢力「南都六宗」が挑んだ宗論が始まりです。 「生意気な若造にモノを教えてやる」つもりだったのかもしれませんが、奈良の学僧達は逆に最澄にコテンパンに論破されてしまいました(笑)。 そこで南都側が繰り出した「切り札」が六宗の一つ「法相宗」の僧侶であった天才、会津・徳一だったのです。 論争は「三一権実論争」と呼ばれ奥が深すぎ、ワタシ程度の浅学非才の人間では理解が難しいのですが「どのような種類の人間でも最終的な悟りが得られる」とする最澄の説に対して、一方の奈良の旧仏教側は「人間のステージは生まれつき決まっており、それに合わせた悟りの境地にしか達することは出来ない、しかし修行によって変えられる」としていて、その論証を互いに数々の経典や過去の歴史的記録を基に行おうとした、ようです多分・・(笑)。 そりゃ旧仏教の側も誰でも悟りが得られるなら「じゃあ今までの辛く厳しい修行は何だったの?」となるので必死です(笑)。 徳一は遠隔地にいたので最澄とは手紙による論争になり、結果として文書記録として残り後世の益となりました。また最澄サイドも争いの中で自説を補強し論理を磨き、さらに天台宗を洗練させていく助けとなっています。 もっとも最澄は論敵である徳一を「賢しらに法を曲げる者」「方向もわきまえぬ者」「田舎者」などと激しく罵っていますがね(笑) ジェントルな印象の強い最澄ですが意外な一面も見せてくれます。それだけ論理的に追い詰められていた、ということなんでしょう。 現地では徳一在住当時の慧日寺の金堂や山門が、発掘調査に基づき原寸復元されています。こんな地方から徳一は都の超一流の論客に対して、「知」による真剣勝負を挑んでいたんですねぇ、何か凄くカッコいい(笑)。
ヤマ田太郎

ヤマ田太郎

hotel
Find your stay

The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

hotel
Find your stay

Trending Stays Worth the Hype in Bandai

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

何年か前に一度行きました。 広い敷地に1200年前は伽藍があり、僧たちの修行の場となる堂舎や、中門・金堂・講堂・食堂もあったようです。徳一を師として人が集まり、いつしか寺僧300人、僧兵数1000人、子院3800を数えるまでに大きくなって、仏都会津の礎を築き凄く栄えていた慧日寺。そんなことを想像しながら見て回るのもおもしろいです。 法相宗高僧徳一と天台宗の祖最澄の間には仏教宗論があり、これは2人没前まで決着を見なかったとのこと。 真言宗の祖空海から高僧徳一への書簡には「私が聞いているところでは、徳一菩薩は厳重に戒律を守っていて、珠にたとえると氷の玉のようであり、その智慧の深く澄みきったさまは大海のごとくと承っています。おんみは静かな山中に修行の場を求めて錫杖を振りながら東に行き、(東北の地に)始めて仏法の旗を立てて、人々の耳や目を開かせ、高らかに法の道を説き、あらゆるもののもっている仏のこころを奮い起こされました。」と、賛辞と共に都の喧騒を逃れ、仏法の専修を目指して東国へと至った経緯を記している。 徳一菩薩、とまで呼ばれていた高僧徳一が、奈良から会津まで来られたわけは、。など興味が湧きます。 慧日寺も明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に伴って廃寺(はいじ)となったようですが、奈良正倉院のほか全国的にも数例しかない古式の密教法具である「白銅三鈷杵(はくどうさんこしょ)」(国指定重要文化財)があるようです。 前回伺った際、復旧の動きを知りました。 今回イベントでまた伺おうと思ってましたが、コロナ影響で中止になってしまい残念。
まるみきよ

まるみきよ

See more posts
See more posts

Reviews of Enichiji Temple

3.8
(145)
avatar
5.0
7y

This was once the most important temple in the Aizu area, but was destroyed in the late 19th century separation of temples and shrines. There's only one restored main building with an amazingly recreated Yakushi Buddha statue that is new but looks as if it's been here for forever. It's nice to wander among the surrounding small temples and shrines as well as the little town. As yet, it is completely untouristy but Japanese tours seem to be increasing. The nearby museum gives fascinating information on how Buddhism integrated with the native worship of Mt. Bandai, but for now everything is...

   Read more
avatar
5.0
3y

以前からどうしても、一度は訪問してみたかった場所だったんですよ、ココは(笑)。 なんせ、あの仏教界のスーパーカリスマ、天台宗の「最澄」そして真言宗の「空海」と論争して一歩も引けをとらなかった、それどころか宗論で最澄の論理の矛盾を突き、苦しめノイローゼ状態にしたほどの「知の巨人」会津・徳一上人がこの寺の開基だからです。そして徳一の墓と伝わる平安時代の層塔も、この寺にあります。

何で当時「最澄」「空海」と並び称せられた程の人物が今は無名かというと、「円仁」などの優秀な弟子が存在した最澄サイドと違って、残念ながら徳一の論理をさらに洗練発展させ、開祖の功績を讃え世間に広めてくれる、そうした後継者に恵まれなかったからです。

そもそもは中国で最新の教学を学び京都で「天台宗」の開祖となった新進気鋭の僧「最澄」に対し、旧来からの奈良の仏教勢力「南都六宗」が挑んだ宗論が始まりです。 「生意気な若造にモノを教えてやる」つもりだったのかもしれませんが、奈良の学僧達は逆に最澄にコテンパンに論破されてしまいました(笑)。 そこで南都側が繰り出した「切り札」が六宗の一つ「法相宗」の僧侶であった天才、会津・徳一だったのです。

論争は「三一権実論争」と呼ばれ奥が深すぎ、ワタシ程度の浅学非才の人間では理解が難しいのですが「どのような種類の人間でも最終的な悟りが得られる」とする最澄の説に対して、一方の奈良の旧仏教側は「人間のステージは生まれつき決まっており、それに合わせた悟りの境地にしか達することは出来ない、しかし修行によって変えられる」としていて、その論証を互いに数々の経典や過去の歴史的記録を基に行おうとした、ようです多分・・(笑)。

そりゃ旧仏教の側も誰でも悟りが得られるなら「じゃあ今までの辛く厳しい修行は何だったの?」となるので必死です(笑)。 徳一は遠隔地にいたので最澄とは手紙による論争になり、結果として文書記録として残り後世の益となりました。また最澄サイドも争いの中で自説を補強し論理を磨き、さらに天台宗を洗練させていく助けとなっています。

もっとも最澄は論敵である徳一を「賢しらに法を曲げる者」「方向もわきまえぬ者」「田舎者」などと激しく罵っていますがね(笑) ...

   Read more
avatar
4.0
4y

何年か前に一度行きました。 広い敷地に1200年前は伽藍があり、僧たちの修行の場となる堂舎や、中門・金堂・講堂・食堂もあったようです。徳一を師として人が集まり、いつしか寺僧300人、僧兵数1000人、子院3800を数えるまでに大きくなって、仏都会津の礎を築き凄く栄えていた慧日寺。そんなことを想像しながら見て回るのもおもしろいです。

法相宗高僧徳一と天台宗の祖最澄の間には仏教宗論があり、これは2人没前まで決着を見なかったとのこと。

真言宗の祖空海から高僧徳一への書簡には「私が聞いているところでは、徳一菩薩は厳重に戒律を守っていて、珠にたとえると氷の玉のようであり、その智慧の深く澄みきったさまは大海のごとくと承っています。おんみは静かな山中に修行の場を求めて錫杖を振りながら東に行き、(東北の地に)始めて仏法の旗を立てて、人々の耳や目を開かせ、高らかに法の道を説き、あらゆるもののもっている仏のこころを奮い起こされました。」と、賛辞と共に都の喧騒を逃れ、仏法の専修を目指して東国へと至った経緯を記している。 徳一菩薩、とまで呼ばれていた高僧徳一が、奈良から会津まで来られたわけは、。など興味が湧きます。

慧日寺も明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に伴って廃寺(はいじ)となったようですが、奈良正倉院のほか全国的にも数例しかない古式の密教法具である「白銅三鈷杵(はくどうさんこしょ)」(国指定重要文化財)があるようです。

前回伺った際、復旧の動きを知りました。

今回イベントでまた伺おうと思ってましたが、コロナ影響で...

   Read more
Page 1 of 7
Previous
Next