This was once the most important temple in the Aizu area, but was destroyed in the late 19th century separation of temples and shrines. There's only one restored main building with an amazingly recreated Yakushi Buddha statue that is new but looks as if it's been here for forever. It's nice to wander among the surrounding small temples and shrines as well as the little town. As yet, it is completely untouristy but Japanese tours seem to be increasing. The nearby museum gives fascinating information on how Buddhism integrated with the native worship of Mt. Bandai, but for now everything is...
Read more以前からどうしても、一度は訪問してみたかった場所だったんですよ、ココは(笑)。 なんせ、あの仏教界のスーパーカリスマ、天台宗の「最澄」そして真言宗の「空海」と論争して一歩も引けをとらなかった、それどころか宗論で最澄の論理の矛盾を突き、苦しめノイローゼ状態にしたほどの「知の巨人」会津・徳一上人がこの寺の開基だからです。そして徳一の墓と伝わる平安時代の層塔も、この寺にあります。
何で当時「最澄」「空海」と並び称せられた程の人物が今は無名かというと、「円仁」などの優秀な弟子が存在した最澄サイドと違って、残念ながら徳一の論理をさらに洗練発展させ、開祖の功績を讃え世間に広めてくれる、そうした後継者に恵まれなかったからです。
そもそもは中国で最新の教学を学び京都で「天台宗」の開祖となった新進気鋭の僧「最澄」に対し、旧来からの奈良の仏教勢力「南都六宗」が挑んだ宗論が始まりです。 「生意気な若造にモノを教えてやる」つもりだったのかもしれませんが、奈良の学僧達は逆に最澄にコテンパンに論破されてしまいました(笑)。 そこで南都側が繰り出した「切り札」が六宗の一つ「法相宗」の僧侶であった天才、会津・徳一だったのです。
論争は「三一権実論争」と呼ばれ奥が深すぎ、ワタシ程度の浅学非才の人間では理解が難しいのですが「どのような種類の人間でも最終的な悟りが得られる」とする最澄の説に対して、一方の奈良の旧仏教側は「人間のステージは生まれつき決まっており、それに合わせた悟りの境地にしか達することは出来ない、しかし修行によって変えられる」としていて、その論証を互いに数々の経典や過去の歴史的記録を基に行おうとした、ようです多分・・(笑)。
そりゃ旧仏教の側も誰でも悟りが得られるなら「じゃあ今までの辛く厳しい修行は何だったの?」となるので必死です(笑)。 徳一は遠隔地にいたので最澄とは手紙による論争になり、結果として文書記録として残り後世の益となりました。また最澄サイドも争いの中で自説を補強し論理を磨き、さらに天台宗を洗練させていく助けとなっています。
もっとも最澄は論敵である徳一を「賢しらに法を曲げる者」「方向もわきまえぬ者」「田舎者」などと激しく罵っていますがね(笑) ...
Read more何年か前に一度行きました。 広い敷地に1200年前は伽藍があり、僧たちの修行の場となる堂舎や、中門・金堂・講堂・食堂もあったようです。徳一を師として人が集まり、いつしか寺僧300人、僧兵数1000人、子院3800を数えるまでに大きくなって、仏都会津の礎を築き凄く栄えていた慧日寺。そんなことを想像しながら見て回るのもおもしろいです。
法相宗高僧徳一と天台宗の祖最澄の間には仏教宗論があり、これは2人没前まで決着を見なかったとのこと。
真言宗の祖空海から高僧徳一への書簡には「私が聞いているところでは、徳一菩薩は厳重に戒律を守っていて、珠にたとえると氷の玉のようであり、その智慧の深く澄みきったさまは大海のごとくと承っています。おんみは静かな山中に修行の場を求めて錫杖を振りながら東に行き、(東北の地に)始めて仏法の旗を立てて、人々の耳や目を開かせ、高らかに法の道を説き、あらゆるもののもっている仏のこころを奮い起こされました。」と、賛辞と共に都の喧騒を逃れ、仏法の専修を目指して東国へと至った経緯を記している。 徳一菩薩、とまで呼ばれていた高僧徳一が、奈良から会津まで来られたわけは、。など興味が湧きます。
慧日寺も明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に伴って廃寺(はいじ)となったようですが、奈良正倉院のほか全国的にも数例しかない古式の密教法具である「白銅三鈷杵(はくどうさんこしょ)」(国指定重要文化財)があるようです。
前回伺った際、復旧の動きを知りました。
今回イベントでまた伺おうと思ってましたが、コロナ影響で...
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