城峯神社(じょうみねじんじゃ) 御祭神 春日四柱(武甕槌命・天児屋根命・経津主命・比賣命)
由緒「平将門伝説を伝える社」 城峯神社の鎮座する「西秩父の雄」城峯山(標高1038m)は、平将門伝説につながる山として昔から知られる一等三角点を有する名山です。
天慶年中(938~947)俵藤太秀郷らによって追われ、敗走した将門は僅かの手勢を率いて城峯山に立て籠りましたが、ここも安住の地ではありませんでした。 今でも「将門の隠れ窟」と呼ばれている険阻な岩の割れ目ともいえる窟がありますが、行動を共にしてきた愛妾の桔梗前によってこの隠れ窟を敵に通じられ、将門は斬られてしまったと伝えられています。
城峯神社の創建も、このような将門伝説に重なっていて、社記は「天慶五年(942)四月、この地に逃げ行った平将門を城山にて討ち取った源秀郷が山頂下、平らな所に藤原一族の氏神である春日四柱を勧請し、また猿田彦大神を高岩に鎮座して奥宮と称し、日本武尊を鎮祭して中宮と称せり」と伝えています。
秩父には日本武尊の東征を物語る神社や山が数多くあり、地理的に見て、城峯山に鎮座する城峯神社も古くはこれら神社のように日本武尊の伝説を有していたと思われますが、記録をとどめていません。 又、秩父の山々に多いお犬信仰を持つ神社の一つに数えられ、春の大祭に御眷族神札の貸し出しが盛んで、多くの人々が火防盗賊除けの祈願をし、お犬様(神札)をお借りして帰る信仰が翌年の参詣につながっています。 春山の大祭当日、古木の杉並木参道に、崇敬者の「願果し」として古くから奉納される「千本旗」が立ち並ぶ様は霧靄に浮かび上がり荘厳な様相を呈しています。
このお犬様(大口真神)信仰は当城峯神社から発生し、郡市内御眷族信仰のある神社に拡がったとも謂われています。 (「境内案内板」参照)
伝説「悲劇の城峯物語」(将門伝説) 秩父小唄「秋の七草 うすむらさきの花の桔梗がなぜ足りぬ 城峯昔の物語」 将門は関八州を平定し、その後下総の野に敗れ、この山に城を築き、名を幡武山石間城と名付け、それまで石間ヶ岳といっていた山に城ができると、里人も城峯山と呼ぶようになりました。 下野田(栃木県)の豪族、藤原秀郷が兵を引き連れ、現在の吉田小学校の高台に陣を張り、将門とにらみ合いになります。 この頃、将門の愛妻、桔梗がときどき城を抜けて、いずれかに姿を消すのを知り、将門は桔梗が秀郷に内通したものと思い違い、怒って桔梗を斬りすてました。 無実の罪で斬られた桔梗の亡霊は落城後も消えず、秋の草花は数々咲きますが、桔梗の花だけは今も見ることができません。 (「境内案内板」参照)
神社境内には、全国でも珍しい「お猫像」もあります。 天保七年(1836)造立と推察され、城峯山を長傳寺が管理していた時代、十一面観世音像のご眷属が猫であったことに因むと云われています。 また、農産物の貯蓄に害するネズミ退治の願掛けに奉納...
Read more2021/6/28 この地にて平将門を討った藤原(源)秀郷が建立しました。約千年前で日本武尊を鎮祭しています。ただ当地にはそれ以前からお犬様信仰の祠があったとの事で当然その信仰を引き継いでいることのみならず、一円のお犬様信仰の起源であると言われています。 平将門は叔父を殺害し下総の国にて新皇を名乗り統治しようとしました。その事に朱雀天皇は激怒され藤原忠文を征夷大将軍に任命し討伐を命じました。将門は追い詰められこの地に城を造り抵抗するもついには藤原秀郷と共に忠文により神社左手にある「将門の隠れ窟」まで追い詰められ討ち取られてしまいました。 神社周辺には先程の将門の隠れ窟、天狗岩(奥の院)、城峯山山頂展望台など散策出来る場所が複数あります。どれも素晴らしいので是非訪問される事をオススメ致します。 城峯神社は下久保ダム近くとこちら2箇所ありますのでご注意を。こちらの駐車場は道の終点にあります。私は今回下久保ダム側から入りました。約40分。道は細く小さな落石も散見されますのでご注意を。途中通行止めの看板がありましたが工事箇所はあったものの通る事が出来ました。皆野から登って来れるかは...
Read moreここ、城峯神社のある山の連峰として、直線距離で4km位北北東にある、神川町矢納にも城峰神社があり、 そちらでは、平安時代、平将門の乱のあと、将門の弟・平将平が城峯山に立てこもり謀反を起こしたおり、討伐を命じられた藤原秀郷が参詣し、乱の平定を祈願したと伝えられます。無事、乱を平定した秀郷はねんごろに祭祀を行い、城峯の号を奉り、その後城峯神社と呼ばれるようになったそうです。とありますが、
こちらの城峯山(秩父市吉田石間)にある城峯神社の平将門伝説では、 「将門の隠れ岩(窟)」と呼ばれる洞窟があり、ここに藤原秀郷に追われた平将門がわずかな部下とともに潜んでいたが、桔梗に密告されて討ち取られたという(そのため山にはキキョウの花が咲かないという)伝承もある。
社記によると天慶5年(942年)、将門を討ち取った秀郷が山頂付近に藤原家氏神の春日四神、高岩に奥宮としてサルタヒコ、中宮としてヤマトタケルを祀ったという。また一説には秀郷が将門の霊を鎮めるために創建され...
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