I cannot actually rate this place, as I think a part of it was closed when I arrived.
There was a copper mine and a "coin monument" was erected to remain of it. In fact, it was quite a big thing when copper was discovered there, as Japan trade was based on barter beforehand. The story of the place is quite complex, so I recommend searching more on Google.
There are no remains from the actual mine, but there is a shrine and some mining related relics (and historical ones) are displayed. You need to take a mountain path to...
Read more今年の年始は「金運」の運気上昇を願って、日本初の本格流通銭「和同開珎」の発行に関わる秩父の聖神社と和銅採掘遺跡に行って来ました(笑)。「最初の貨幣」の称号は、その後に発見された富本銭に譲りましたが「コレは実用ではなくマジナイ用ではないのか? 」とも疑われており、一般の人々が最初に目にして使用した通貨として、いささかも和同開珎の価値は失われていません。
ワタシの頃は「ワドウカイホウ」と教わりましたが、今は「ワドウカイチン」と呼ぶことが多いみたいですね。「珎」を寳の略字体と見るか、珍の略字体と見るかの違いだそうです。 価値としては1枚で当時の一日分の労働の対価か、米2Kgと交換出来た、と言うから今なら1万円前後になるんでしょうか。
さて、この場所で採掘された銅を献上された元明天皇は大いに喜び、元号を「和銅」に変えたというからよっぽど嬉しかったのでしょう。なぜなら当時、金・銀・銅等の金属資源は日本には存在せず、貨幣を発行するにも海外から原料を輸入するしかないと考えられていたからです。 今で例えるなら「国内で大規模な油田が発見されて、あちこちから原油が噴き出しています!」という衝撃的ニュースに近いと思います(笑)。そりゃ喜ぶでしょうね。
遺跡には銅を採掘した、硬い岩山をえぐった竪堀状の2条の溝が山肌に残されています。銅の種類としては精錬や加工が必要な銅鉱石ではなく、純銅に近い「にきあかがね」が採れたそうです。そして遺跡の前には、当時銅の選別にも用いたであろう小川が流れていました。
他の人がやっていたので、鎌倉の「銭洗弁天」じゃありませんが、ワタシも真似をしてその小川でお札を洗ってみました。何倍にも増えて戻っ...
Read more聖神社⛩の通り沿いの急な登り坂を上がった所に和銅遺跡があります。聖神社⛩から和銅遺跡の急な登り坂、かなりの急な坂なので、足腰に来ます😑…トレーニングのつもりで登りました和銅遺跡は、渓谷になっており、階段を降りるときは、足場が悪いので足元を気をつけて、
階段を降りて下さい。実は私自身…過去に階段を踏み外し滑った経験がありますから😓
幸運な事にここの遺跡の三毛猫😻に逢いました。とても可愛いかったので画像に収めてあります。(◍•ᴗ•◍)❤更に遺跡の奥を突き進むと、
ビックリ!༼⁰o⁰;༽デカッ!!これが!和同開珎のモニュメントーーーー!迫力満点です!(((;ꏿ_ꏿ;)))
ビックリしました!和同開珎モニュメントに、お賽銭が置かれてありましたので、私もお賽銭を置き、宝くじが大きく当たり🎯ますようにと、手🙏を、合わせ拝みました。✨
ムカデのモニュメントもありましたが、聖神社⛩を参拝する前は、ムカデは嫌いでしたが、過去に聖神社⛩を参拝し、ムカデは、お金に困らないと言う説があると知り、ムカデへの、苦手意識を克服しました。/╲/\╭(•‿•)╮/\╱
今回は、和同遺跡の奥にある小川は、侵入禁止🚫でしたので小川での銭洗いが、出来なかったのが残念です(-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩_-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩)
本来、小川で銭を洗えば御利益があると云われます。仕方ありません…でも和同開珎モニュメントが見れて良かったです!
また聖神社⛩の参拝前に訪れますのでよろしくお願いいたします🙇\...