明智氏のお城跡 光秀は1528年近くの落合砦で誕生したと言われてますが資料に乏しくよくわかってません
織田、武田の攻防の舞台です 1572年武田信玄が亡くなり、勝頼は失った遠山領を取り返すべく侵攻を開始、1574年には東美濃に侵攻しこの明智城などを次々に落としました 織田信長公はこちらを諦め、境い目の小里城に池田恒興を置き岐阜城に帰陣しました 翌1575年5月長篠設楽原で徳川、織田連合軍と武田軍が激突し勝頼は敗退、その後明智城は織田が奪還します 秋に岩村城の戦いで織田軍が勝利し武田は追い込まれていきました
城入口の前が駐車場です 駐車場のBoxにパンフレットがあります お城跡は整備されてます 案内板もついてるので見逃しが無いですし、草刈りも概ねされてます
見どころは畝状竪堀群です! 本丸と二の丸、出丸を取り巻く横堀が遊歩道になっていて、そこから落ちるもこもこの連続する竪堀は見応えあります
本丸、出丸の...
Read more明知城は標高530mと高所にありますが比高は80m程度です。入口は大正村側の大手と裏側の搦手の大きく二箇所で搦手側には駐車可能です。 明知城は完全な土の城で石垣遺構はありません。その代わり畝状竪堀、切岸、堀切、土塁、横堀など山城によくある遺構はフルセットで見ることができます。 特に畝状竪堀群は見事ではっきりと残っており壮観です。 その他にも池の跡や武者走りなどもあります。 整備も行き届いており案内板も充実した良い山城だと思いました。
明知城は遠山一族の明知遠山氏の居城として築かれました。明智光秀生誕の地との説もありますが、定かではありません。後に武田氏と織田氏の争乱の最前線となり奪い合いが繰り返されました。 最終的に関ヶ原の合戦時に遠山氏が奪い返し城主となりましたが、江戸時代に廃城となり麓の明知陣屋が築かれました。 遠山氏は明治の廃藩置県...
Read more真田戦記 明知城 岐阜県恵那市明智町 明智光秀ゆかりの両明智を攻略すべく、まずは遠方に当たる明知城に登城しました。明知城は、別名白鷹城とも言われ標高530Mの山に築かれた城で明知遠山氏は東農に威を張っていました。戦国時代後期に織田氏と武田氏の争奪戦の地となり一旦は武田となり織田が奪還します。当時の明知城主遠山利景は小牧・長久手合戦で森長可の家臣石黒藤蔵・関左門の守る明知城を攻略しましたが、豊臣秀吉の命令により明知城は森長可に返されます。関ヶ原の戦いでは、西軍側の田丸直政、配下の守る明知城を攻略、功によって恵那郡と土岐郡内に領地を拝領し、後に明知陣屋を築いて明知城は廃城となりました。山は、それほど高くはないですが色々と細工が施されていて、攻手は苦労したんじゃ...
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