金印は江戸時代、博多湾に浮かぶ志賀島(しかのしま)で農作業中に偶然発見されました。その後、筑前藩主である黒田家に代々伝わり、1978年に福岡市に寄贈されました。 金印に刻まれた「漢委奴国王」の五つ文字からは、漢の皇帝が委奴国王に与えた印であることが分かります。そして中国の歴史書『後漢書』には、建武中元二(57)年に、光武帝が倭奴国王に「印綬」を与えたことが書かれており、この「印」が志賀島で見つかった金印と考えられるのです。 さらに唐代に編纂された『翰苑』には「中元之際紫綬栄」とあり、光武帝が与えた印の鈕(つまみ)には紫色の綬(くみひも)が結わえられていたことがわかります。...
Read moreThis is a historic place on Japan. According to the text they say that the king of Japan at that time received his seal from king of China of Han dynasty. There are stone carving as well in which the above are written. The park was well maintained and very clean. The view is awesome at the time of sunset. The Fukuoka coastline is clearly visible...
Read more弥生時代に後漢の光武帝が奴国(なこく:現在の福岡市付近に存在した小国)の王に贈ったといわれる金印が、この付近で発見されたことを記念した公園。志賀島の南に位置し、博多湾に面している。
★ 「古事記」・「日本書紀」の「綿津見(わたつみ)の伝説」に登場する志賀島は、「万葉集」に詠まれたり、蒙古襲来の元寇で戦いの舞台になった地でもあるため、古くからその名が知られていました。ですが、多くの方が志賀島の名前を知ったきっかけは、日本史の授業ではないでしょうか? 天明4(1784)年に、「漢委奴国王」と刻印された金印がこの付近で発見され、志賀島は一躍有名になりました。 ★ 金印は国宝に指定されており、「漢委奴国王」の文字が刻印されています。 ★ 研究者の記録によると、石碑のすぐ近くで金印が発見されたとなっていますが、未だに詳細は不明。中国の古代書には、当時このエリアで、女王が治めるクニがあったと記録が残っています。 ★ 近隣の大国「後漢朝」に貢物をすることで関係を保っていた奴国が、後漢朝から「奴国」のクニの王であると認めたことを示すのが「金印」だといわれています。 ★ 日本の歴史において4~5世紀の間は、一切の記録が残っていない「空白の150年」といわれています。「後漢書」に記載されている金印は、この地で発見された金印と同一なのか? 卑弥呼は実在したのか?...
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