福山城を見たついでといってはなんですが、近くに古い山城があったようなので行ってきました。 福山城に行くと神辺城の櫓跡と書かれた石碑が結構あり、福山城を築城したときに神辺城から移築したものが多かったようです。 そうなると神辺城は建物から石垣から結構取られてしまったわけですが、お城とはそういうものなのかもしれません。
神辺駅で降りて少し歩きます。 登り口は結構遠いのですが、途中の神社からも登れそうな感じがしたので、神社に寄ってみると登り口がありました。 結構な山道ですが、しっかり整備されていて階段もあり、普通の靴で登れます。 少し登れば開けた場所に出ました。 ここからの景色もかなり良いですね。
アスファルトで整備された道が少しあり、そこを登ると三番櫓跡がありました。 この上に二の丸や本丸があります。 曲輪としてしっかりと整備されており、作りとしても堅牢であったことが伺えます。 本丸手前に石垣跡がありました。 個々にあった石垣も福山城を築城するときに運ばれて行ったようで、少しだけ残った石垣がありました。
石垣跡を見ながらグルッと回り本丸にたどり着きます。 鬼門櫓跡など当時は多数の櫓があったことが伺えます。 殆どが福山城に移築されたようです。
景色は非常によく、山城らしさを感じました。
帰りは大手道であろうルートの方から下りました。 堀切跡などもあり、案内板もしっかり整備されています。 途中に福山市神辺歴史民俗資料館がありました。 こちらは天守のような建物となっています。
下っていくと犬かなと思う動物が目の前を通りました。 よく見てみると狐のようでうs. 割りと小さいのですが、あまり人を恐れている様子はなく、こちらを見ていました。 道沿いだったので、できるだけ近づかないようにして端を下りていくと狐は多分巣に使っているのだろうと思われるコンクリートの穴に入っていきました。 そこから少し顔を出しているところがあまりにも可愛いです。
なんかほっこりしました。
下りたついでに近くに本陣という場所があったので、そちらも見学して見ました。 古い町並みになまこ壁の建物があり、良い雰囲気でした。
あまり人に合うことはなかったのですが、観光場所としても良い...
Read more『Yukimura ch』さんの毛利元就編が面白くてその影響で備後山名家の本城があった『神辺城跡』に初訪問しました。まだ毛利元就が大内義隆に従属してた時に大内家の家臣だった陶晴賢がこちらの城を攻撃するが失敗。その後を毛利元就の策略で安芸国の国人と一緒に陥落させた城です。神辺城は大内家の直轄地になるけど陶晴賢が『大寧寺の変』で謀反した時に出雲の尼子家の支援をもらって備後山名家の家老だった『杉原盛重』が山名家再興を掲げて『神辺城』を奪取して旗揚げします。それを毛利元就が吉川元春を先鋒にして鎮圧してそのままどさくさに紛れて毛利家の領土にしました。この辺の経緯は『Yukimura...
Read more神辺城は神辺の街を見下ろす黄葉山山頂付近に築かれた山城である。現在は車で城域近くまで登ることができる。
神辺城は山頂の主郭を中心に西側と北側尾根に沿って連郭式に郭が連なる構造である。西側尾根先端部付近には畝状竪堀群があるようだが、現在はヤブに遮られ見ることはできない。 神辺城はかつては総石垣造りであったと考えられているが、福山城築城時に建造物、石垣などの多くが福山城に移されたため現在は少量の残存石垣が残る程度である。
神辺城は遊歩道が整備され見学はしやすい。堀切、井戸跡などの遺構が確認できる。眺望は良く、神辺の街を見渡すことができる。
神辺城は室町時代に山名氏によって築かれた。戦国時代には杉原氏の城となり、杉原氏没落後は毛利氏の直轄となった。 江戸時代に入り、福島正則によって近世城郭として整備されるが、福山藩主水野氏によって福山城が築かれると神辺城は廃城となり、建物や石垣の大部...
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