【城探究】 ◉夏見城跡 📍千葉県船橋市
船橋にある城の中で唯一、城主(夏見加賀守政芳)永禄の頃(1558~1569)がわかっている「夏見城跡」へ探究しました。
13時16分に探究で長福寺周囲を探究しました。
🏯夏見城
☆分類・構造 平山城
☆築🏯主 不詳
☆築🏯年 不詳
☆主な城主 夏見加賀守政芳
☆廃城年 永禄11年(1568年)?
☆沿革 「長福寺縁起」には永禄年間(1558〜1569)に夏見の領主であった夏見加賀守政芳が築🏯されたとあります。 御本尊である「長福寺木造聖観音世菩薩」は天文5年(1536年)12月24日に当寺に寄進されたとなっています。 平成2年(1990年)に行われた解体修理の際に「豊嶋勘解由左衛門尉平朝臣胤定」が寄進者と胎内墨書銘によって判明しています。 夏見加賀守政芳は永禄7年(1564年)1月10日に討死、永禄11年(1568年)に近隣の豪族に攻められ落城したとされています。
☆雪解塚 境内遺構の北側に雪解塚があります。 この場所には古井戸があったとされており、夏見城が落城した際に敗残兵が井戸に飛び込んだという伝承が残されています。 後に供養のためこの塚が建てられたのですが塚周辺は雪が積もらないとされていることから雪解塚と呼ばれています。
◉感想/ルート 夏見城の遺構は長福寺と隣接する稲荷神社以外は残念ながらほぼ壊滅しています。 まずは長福寺境内へと探究して行きます。 境内にある駐車場付近に木造聖観音菩薩立像に関する説明板があり、その文の中に夏見城に関する説明が記載されていますので忘れずに確認しておきましょう。 本堂裏手にある林の中に遺構はあり、高さと長さがある土塁がしっかりと残されています。 東側はかなりの斜面となっているので天然の防衛施設にもなっていたようです。
隣接する稲荷神社境内にも存在感ある土塁が残されていますが富士塚となっており、何故か多くのタイヤが土塁斜面に置かれています。
稲荷神社から坂を下り海老川方面へと歩き、夏見城方面を見上げると当時の夏見城の雰囲気(全体像)を確認する事が出来ます。 夏見城に関する遺構は少ないですが散歩がてらに夏見城に関する事柄を思う存分探究させていただきました。
ありがとうございました。
◉所在地 千葉県船橋市夏見6−23−3
◉アクセス 🚊JR東日本総武線/船橋駅北口から2...
Read more現在、夏見城址は、「長福寺」が建っています。お寺一帯に城が築かれていたとされ、本丸跡があったと考えられているそうです…
城跡は宅地化されているため、遺構を確認できるのは、長福寺の裏手にある土塁跡と隣接している稲荷神社の境内「戦国時代の貴重な残存遺構」 一部の土塁跡だけに…
❨稲荷神社の土塁跡は富士塚にも見えてしまう小さな盛り上がり…❩
❨お寺裏手の土塁跡は立入禁止の札があるため、見学は許可が必要…❩
夏見城は、城主 「夏見政芳の居城」 1568年❨永禄11年❩ ...
Read more船橋駅から徒歩20数分位、夏見城跡について、船橋市ホームページより抜粋しますと次のように説明されています。
夏見という名称は、平安時代後期に伊勢神宮領の荘園、夏見御厨の中心であったことに由来する。 戦国時代前期には夏見豊島氏が現長福寺に城郭を築き、支配していたと考えられている。 その後、荒廃した長福寺は永禄年間(16世紀後半)に夏見加賀守政芳により再興、江戸時代には将軍の御朱印寺となる。 江戸、幕末期の戊辰戦争では船橋も戦禍に巻き込まれ、夏見の薬王寺・長福寺ともに焼失した。 現在は、本堂右奥には戦国時代の城砦址と言われる土塁が残っている。
実際には土塁が見...
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