大照院は萩市の西を流れる橋本川にほど近い山の裾野にあり、萩藩毛利家の菩提寺として二代藩主毛利綱広により1654年に伽藍が建立整備されましたが、その後1747年には火災で伽藍を消失し1750年頃までに再建され現在に至ります。 こちらの庭園は本堂の裏手・西側の山を背景にした池泉回遊式庭園で、庭園内には明らかに建物の土台石が多く見られ焼失したまま再建されなかった堂もあったことを物語っています。 多くの礎石などとともに本来なら建物の濡れ縁のそばに置かれるはずのなつめ型と円柱形の縁先手水鉢が庭の中心に2つ残されています。また、庭の北側には池に沿いながら伸びる低い石垣があり、その先端に置かれている石の幾つかは景石というより石場建ての柱をのせる土台石のようにも見えます。ひょっとしたらそこに茶室があったのかもしれません。 なお、この大照院が創建される以前の8世紀末 -...
Read moreIf you come to Hagi, make some time to visit Daishōin. It isn't the most flashy temple, but it's unbelievably quiet and the graves of the Mori clan are great. The temple costs ¥200 to enter and...
Read more【国指定重要文化財】...指定は、「本堂・鐘楼門・書院・庫裏・経蔵」…『本堂』江戸中期(1750)の建築。一重入母屋造、規模な方丈形式です。…『鐘楼門』入母屋造、二階の二重門です。根太天井となっている二階にある鐘楼は寛延2年(1749)、萩藩の鋳物師、郡司四郎左衛門信房作とされています。…『書院』18世紀後期、1750年頃の建築とされます。…『庫裏』切妻造、本瓦葺妻入の広大な建物です。…『経蔵』江戸後期の宝暦5年(1755)の建造で総塗込の土蔵造です。創設当時の経蔵は延享4年2月(1747)の火災で焼失しましたが7代藩主重就は住職春林西堂などと尽力しくして再建しました。境内墓所の『萩藩主毛利家墓所』は【国指定史跡】です。…大照院は、萩藩初代藩主の毛利秀就(ひでなり)の菩提を弔うために、2代綱広が明暦2年(1956)に建立した臨済宗の寺院です。境内墓所にある「国指定史跡・萩藩主毛利家墓所」は、初代と2代以下、偶数代...
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